なにかにハマるということ

今、職場の高校生の女の子とこれをやってるんです。

最近すごくこの子と将来の話をすることが多いのだけど、その子の語る将来像が曖昧でふわふわとしていて非現実的で。もちろん、将来像なんてふわふわしてるものだってわかってる。でも、そのままじゃあ苦労することも目に見えている。卒園してしまえば今のようになんでも助けてあげられるわけじゃないから。一人になったあとに行き詰まって苦しい思いをしてほしくないから。だから、今、できることをいろいろやりたいなって思っている。

自分の将来を考えるには、まず今までの自分を振り返ることが欠かせないっていう持論があるので、この間のクリスマスにプレゼントした本。時間はかかるけど、夜にあーだこーだ言いながら考える時間はいい時間。

今日やったのが「今まで自分がハマってきたもの年表」。わたしも一緒になって自分を振り返りながら、いろいろなものが好きだったなあってしみじみしてたんだけど、20歳を超えた辺りで途端に書けなくなってしまった。小学校〜中学校はいろいろなものにハマって、高校生のころも熱狂的にあるものにハマっていたのに、大学生になった途端「あれ…?ハマっていたものってなんだっけ…?」ってわからなくなってしまった。自分って好きな物なかったのかな、からっぽなのかな、冷たい人間になったのかな、情熱がなくなったのかなって、ぐるぐると考えて。もちろん大学生時代に何もしていないわけじゃないんだけど、でも好きだったものが思いつかないって結構落ち込むものだ。

その子も一緒になってあれはこれはと考えてくれたんだけど、昔のように”ハマる”って感覚のものは一つもなくて、「少し一人で考えてみるね」と言ってノートの記入をやめて、そして今。「どうして、昔は何かに夢中になれたんだろう」って悶々と考えたら気がついたんです。何かにハマってた時って、殻にこもって一人の世界でその好きな物と触れ合っていたんじゃないかなってことに。

高校くらいまでは誰も本当の自分を出せるような人はいなくって、自分の内面をずっとなにかの殻で覆っていたように思う。ずっと殻の中にとじこもっては、誰もその中に入れさせないようにしていた。その殻の中で、自分の好きな物を一人で愛でる感覚がわたしにとっての”ハマる”って感覚なんだなあ、ということに気がついたのでした。何かにハマるのってきっと寂しさの裏返しでもあって、一人の世界だとつまらないから何か夢中になれるものを探していたの、かな。

そうやって思うと、むしろ大学入学後はいろんな人との関わりが増えていって、なにかを一人で愛でなくても寂しくないような状態になったのかなって思う。一人部屋にこもって好きな物のことを考えていた時間は、誰かと一緒に過ごす時間に変わっていった。殻が少しずつ破れていって、自分の世界に誰かが入り込む感じ。好きだなって思ったり、大事だなって思う対象がものから人に変わっていったんだな。きっと。

ハマった物がないっていうとすごくネガティブな響きだけど、なにかにハマる必要がないほどいろいろな人が近くにきっといてくれて、それだけで毎日がよかったんだなあ。そう思えるってとってもしあわせなことだな。

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