北海道胆振東部地震

一週間前。わたしの地元北海道で、最大震度7の地震が起きた。地震があった時刻は午前三時で、もちろんわたしの住む山梨県は一切揺れないし、警報もならない。でも、その日はなぜか五時に目覚めて、なんとなくスマートフォンを見たらLINEニュースの通知が来てた。

「胆振地方で震度6の地震発生」

寝ぼけていて、一瞬胆振地方がどこのことを言っているかわからなかった。でも、次の瞬間、北海道で起きたことだと気づいた。すぐにTwitterを開いた。停電が起きていることを知った。実家の母に連絡をした。5分後に返事があった。「停電で全く状況がわからない。台所が悲惨なことになっている。怪我はとりあえずない」とのことだった。

実家には何も備えがないことを思い出していた。
懐中電灯は数十年前から使ってるやつで、もう何年も使ってないよな。今ちゃんと使えてるのかな?とか。
ラジオも電池式じゃないから今は使えてないだろうな、とか。
うちの母は未だガラケーだから、携帯からも情報を得にくいだろうな、情報がなくて不安な気持ちになってないかな、とか。

真っ暗な中、何が起きたのかさえ知ることができないのかもしれない家族の状況を考えると、なんだかとてもわたしが不安な気持ちになって、Twitterを漁った。まだ揺れてるのか。被害はどれくらいなのか。電気は戻るのか。

そうこうしてるうちに、始業時間になった。子どもたちに北海道で地震があったことを説明し、テレビをつけた。山梨でも北海道の地震のことを報道していた。この日はちょうど、子どもたちの校外学習で、お弁当をいつもより3つも多く作らなければならなかったけれど、気持ちはソワソワして落ち着かなくて、早く目が冷めてしまったから眠たくて、でも平気なふりをしてた。「地震があったみたいで、電気が止まってるみたいだが、ケガはないらしくて、とりあえずよかった」と繰り返し話した。よかった。よかった?そんなことない。心は不安な気持ちでいっぱいだった。まだ大きな揺れが来るかもしれない。この先、普通の生活にはすぐ戻らないかもしれない。

一番大きな揺れがあった厚真は、大学のときの友人が住む場所だった。安否が気になったけど、わざわざ連絡を取るのもはばかられたので、Twitterで誰か安否確認出来た人はいないか投げてみたら、共通の友人から無事らしいとリプライが来た。他にもみんなTwitterでつぶやいてくれていたので、安否確認が出来た。高校のLINEグループも動き出して、みんな怖い思いをしたり、不便な思いをしていることが伝わってきた。とってもとってももどかしい気持ちになった。自分の身近な人たちが大変な思いをしてるのに、何も感じ取ることができないことに?自分の生活があまりにも日常的すぎることに?何にかはわからないけど、とてもモヤモヤしていた。

停電はしばらく直らなくて、だからこそ実家に不必要な連絡は取らないようにした。スーパーに物資を求めて並ぶ人たちの写真を見て、普段スーパーでパートをする母のことを思った。役所で水や電源を供給しているというニュースを見て、公務員の姉のことを思った。二人とも、もしかしたら借り出されているのかな、と。被災した誰かが周りの人のために動いているから、こういったサービスが災害時でも提供できるんだよなあと思った。ほんとはみんなと同じ立場で不安なはずなのに。こういう当たり前のことにも今更気付かされた。

とにかく、ずっとソワソワそわそわした一日だった。東日本大震災や熊本の地震のときは、大変なことが起きてると思ったけど、こんな気持ちにはならなかった。どこかやはり過去の災害は他人事でしか捉えていなかったんだと、落ち込んだ。
北海道を出たくて今この場所にいるのに。家族と離れたかったから、北海道を出ることを選んだのに。なのに、いざこういうことがあると、すっごく不安に駆られて。でも疎遠だから姉の連絡先は知らないなあとか思って。母ともショートメールしかできないなあと思って。自分の都合の良さにも、普段から大事にしてないことにも、すっごく落ち込んだ。

電気は地震の次の日の夜には実家に戻ったらしい。
そして、もう一週間たって、だいぶ日常にも戻ってきたらしい。
わたしはというと、一周間落ち込み続けていたような気がする。たぶん。なぜだか気持ちが晴れない一週間だった。なかなか気力がわかなかった。

自分にとってほんとうに大切なものってなんだろな。
大切にしたいことってなんだろな。
そういうの、ぐるぐる考えている。

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