万引き家族

平日の15時代の上映だったけれど、満席だった。正しくは、わたしがチケットを買ったら満席になった。最後の一席。それだけ注目度の高い映画なんだろう。客層はわりと年齢層が高めだったけど、中には制服姿の高校生二人組もいた。その子達は映画を見てどんな感想を持ったのだろうか。

私はというと、家族ってなんなんだろうっていうことをぐるぐると考えた。というか、映画を見る前から、ずーっと長らく考えていることだ。一応、私の中で結論は出てはいる。家族は家族。いわゆる血のつながりがある人たち。その中でも血縁が近しい人たち。

私自身、家族へのコンプレックスは山ほどある。だからこそ、家族以外のところで、他人と家族のような関係になりたいと思ってたし、今の福祉の仕事をするにあたっても「母親代わり」のような存在でありたいとか、まるで家族みたいな暮らしをしたいとか、そんなことを思ってた。でも、日々子供と暮らしていて、やっぱり血のつながりのある家族とそうじゃない人は圧倒的に違うんだなって思う。何が違うのかはわからないし、言語化できない。でも、母親代わりにはどうやったってなれないし、一緒にいろんなことを共有しあっても家族にはなれない。そう思う。それは、決して悪い意味ではなく、そういうものなんだと思う。

そのことは、映画の中でも描かれていたような気がする。警官に尋問される安藤サクラが、(子どもたちに何と呼ばれていたかと尋ねられて)「なんなんだろうね」と答えるシーン。一緒に暮らしていたけど、自分があの子たちにとって何者であったかはわからない。このシーンの安藤サクラの涙や言葉は切なかった。けど、映画鑑賞後にいろいろ考えていて、この「なんだかわからない関係」って、結構大事なんじゃないかと思った。なんだかわからない、名前がつけられない関係だけれど、愛情は確かにあって、幸せな瞬間も存在していて、安心もあって。そういう場所や存在のことを、別に家族と呼ぶ必要はないし、家族と切り離して考えてもいいんじゃないかな。

映画を見た後、いろんな感想を読んでもやっとした。「これが本当の家族の形」とか、「血がつながってなくても、絆があるのが家族」とか、「虐待をするのは本当の家族ではない」とか、そういう感想が多くて全然しっくりこなくて。結局そういう感想って、家族=愛・絆・つながりみたいな、家族に対する固定概念の枠から出てないからだよなあって感じて、それがなんだか気持ち悪かった。もう、家族とは愛情があるものとか、絆があるものとか、やめようよ、時代にそぐわないよ、って思う。絆や愛情が薄くとも家族は家族として存在してる。それは変えようのない事実。それとは別に、愛情を交換し合える関係も存在してる。それでいいじゃんって思うし、そういう世の中の方が私にとっては救いだ。

結局、「万引き家族」のあの集団は上手くいかずに解体されてしまったけれど、社会の中に家族以外の居場所があるっていうことは、大切なことなんだっていうのは、前々からずっと思ってること。今日あったいいこと悪いことを共有したり、ご飯を一緒に食べたり、花火の音をみんなで縁側で聞いたり。家族って枠にとらわれずに、そういう幸せな時間を過ごせる場を、やっぱり作りたいなぁ。

他にも、この映画の中では、不安定な雇用から訪れる貧困とか、年金不正受給とか、虐待とか、いろいろな社会課題が描かれていたので、また今度そっちの面の感想も書けたら、と思う。

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