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摂食障がいの克服76【引き続きロンドンのお話と過食のこと】

 過食真っ只中のころ、摂食障がいは、究極の【自分いじめ】と思っていました。人にとって、食べると言うことは元気をもたらすものだし、人と食べることは幸せな時間の共有のはず。

 昨日大英博物館に行って、ずっと大昔から、地球上どこであれ、美術や音楽が生まれ、そして、装飾品が生まれ、また、死に向かいあっている、そんな歴史に触れました。食器もどの文化のものもきれい。食べることが大切に扱われてきた、象徴です。

 どの地域の文化もそれぞれ、魅了されました。

 ロンドン2日目には、世界遺産のストーンヘンジを観に行きました。5000年前に、巨大な石が、計画的に組み合わされて、日光の加減でキレイな影を作り、また、最後に一つ組み合わされた少し離れた石のおかげで、美しい夕陽をみることができる。でも、何のために作られたかはまだ、謎だそうです。私はお墓かなーと、観て思いました。

 大英博物館では、目玉のロゼッタストーンを観てきました。この発見により、古代のエジプト文化解明が進んだそうです。

 美術や音楽、何より、食生活が大切に扱われてきたこと、また、この長い歴史にまだ、未解明の謎も多いこと。

 摂食障がいは、先進国独自の症状であり、長い歴史の中では本当に近年の症状だから、だから、お医者様でもわからない、難病指定だったし、また、一般的に認知度が低い病気なんだろうなー、と。

 私も自分が向き合ってきた中で、話した人たちもいるけれど、元々知ってる人はいないし、何なら、もう近寄れないぐらい敬遠されたこともあるし、離れてる友人なんかは、100キロ超えちゃった?ぐらいに思ったそう(40キロぐらい)。

 痩せてても太っても、過食の悩みは同じ。
 あれは、自分いじめだと、私は思っていました。何らかの復讐をからだに、心が仕向けてる、そんな、感覚です。

 もちろん【体の過食】で、単に痩せすぎや栄養失調、【脳の過食】で、自分の厳しく歪んだ思考への、反撥の過食、【心の過食】で、限界へのサイン…けど。その症状が、自分が食べたくもないのに、自分に食べさせるって。体の過食が徐々におさまり…そして、脳の、心の。必要だから起きている。…それにしても、

 苦しみが解けない以上、症状が続くとしたら、そんな理不尽な。自分は苦しいのにこれ以上苦しませるなんて…と今再び、感じています。

 依存症であり、物質依存、行動依存なんだけど、自傷行為、なんですよね。リスカと同じ。それも、ルックスとかそういったところが、何らかの入り口の私たちに、最高の罰としての過食というこの依存。痩せていたかったのに、なぜ、自らを太らせる行為に走るんだろう。

 脳の変換ひとつなんでしょうけれど、この一つを変換させるには、100も、200も、考えたり経験して乗り越えていくのかなあ。

 昨日パブでお食事したけど夜ホテルでラーメン食べちゃったし、これも、ないならないでいいのにな、そう思いつつ。夜食べすぎるって、なんとなく、睡眠恐怖や、朝がくるのが怖い恐怖、今をも少し伸ばしたいみたいな気持ちがあったり。

 写真は初日のフィレステーキランチです。ランチだったけど、食べ終わるのに3時間かかって、ディナーみたいにもなりました。この写真プラス、ベイクドカマンベールを皆んなで頂き、スパークリングワインも飲んでます。おにくも、チーズも大好きです。

 このお食事は100点、あの、過食は、マイナス50点。本当は、口があまり大きく開かないので、小さなスプーンが好きなのに、過食の際のおにぎり、3口とか、なんだろ、何かが乗り移ってる。

 そう思ったものです。
 どれも私ですが、息子なんかは、お母さんほど胃の小さい人いない、食べない、だから、食べ過ぎるんちゃう、とか言ってくれてたかなー。

 取り止めもないですが、この時差というより、20時間超えたフライトの後で、すごく楽しいけれど、足は痛いし肩は痛い、なのに、摂食障がいのことは、常に考えてしまいます。

 明日はスコットランドに向かいます。

 

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