摂食障がいの克服250【judge】
今日もお仕事を終えて帰宅しました。
今日はいつもより出社が早かったんです。うつ病のお友達から連絡頂いた時、『ウツウツしています・・。後1時間後には1案件目がスタートしています』そう伝えたら、『それは、鬱ですね。』と返ってきて、非常に不謹慎ですけれど、話が早すぎて嬉しかったです。
こんな私にも日常でやり取りする友人が何名かいるのですが、1時間後に仕事がスタートするっていうとやはり、『いってらっしゃい』もしくは『がんばって』だったように思います。最近家族が、『大変やなあ・・』と結構心配しています。事前準備が半端ないですしね。起きてから出社まで基本的には準備しているので。
今日は3案件。決して100%にはいかないけれど、とにかく想定されるケースすべてに様々調べて資料準備するので、何とか『ありがとう』も皆さんに言って頂けた。
どんな仕事でもそうですが、頑張り時という時期はあって、私の場合事前準に今異様に時間をかけていますが、これが今後に繋がると信じて、苦しいながらにぎりぎりながらに、棚を増やしていっています(うちには引き出しがないので、どんどん資料が増えるにつけ、ひとつ仕切りボックスみないなのを使って並べていっています)。
顧客の方々の笑顔を見るとホッとします。
無論顧客が怒ってたりするのは私の準備やプレゼンに足りない点があるからだからあってはいけないのですが、所詮相手も人。その方にもその日に嫌なことがあったなどはあるでしょう。
ホッとする、というのは、『こんな私でも生きてていいんだな』と思えるというか。世の中すべてに、存在する価値がないって暗に示唆されているようで、つらい人生送ってきた私としては、その瞬間だけでもホッとします。
『ハチャメチャ探偵長』は、私が小学中学年時代にシリーズにはまっていた作品です。
小学5年生の舞ちゃんと淳くんが、事件解決までに活躍するんです。
大賀警部:大賀美男、ビナンではない、ヨシオと読む。体重は100キロ(120キロかも・・・)
細井刑事:名前は細井であるが、体は太いである。85キロ。
このコンビがなかなか、プロでありながら抜けているところがあるため、舞ちゃんと淳君がもともとの気質もあり、気づけば警部と刑事のオフィスでお菓子を食べていて、意見してきたりするのです。
舞ちゃんは美少女ですが、大食い。とにかく人々が目を見張る大食いなのですが、食べ終わった後、さっとお皿を(昼食はサラダだけっていう美意識高い少年の)淳君と取り換えて、『私が食べたのではありませんわ』アピールしてる、っていう少林寺拳法もできる女の子。
淳君はHSPさんかも。結構繊細ですが、そんな舞を支える。A型がO型を支えるようにできている、と言っていた。
小学時代に読んでから今まで読み返したこともないけれど、これぐらい書けるぐらいに覚えている作品になります。
このシリーズのどの作品かの中に、孤独なご高齢のおじいちゃんの話があったように思うんです。
そのおじいちゃんは立派なご自宅(お寺だったかと思うのですが・・違ったら申し訳ありません)をいよいよ手放して、息子(もしくは娘)夫婦の元に引っ越して、第3の人生を歩もう、そう決めたんです。奥さんを亡くして孤独だったから。
しかしながら、後に犯人(たぶん)だった方が、そのご自宅(お寺)を文化遺産に登録するという手助けをするんです。
おじいちゃんは、もうこの立派な家を手放して、子供や孫たちと過ごしたかったんです。けれど、この犯人(たぶん)は、この立派な家こそ守るべきだと考えたわけです。
結果、文化遺産に登録されたこの家を、おじいちゃんはこの後もひとりで守っていくんです。
手放したことは、自分の今後の人生で、家族と暮らすこと。
手に入れたことはご先祖から与えられた家を守り抜いたこと。
日本にとって、その地域にとって、それは非常に誇りに思うことだけれど。おじいちゃんはどんな気持ちで毎日を過ごしたでしょう。
その後、犯人(たぶん犯人だったと思うので後にこのことが明らかになったと思います)が、『消えてしまうであろう、お寺(多分)を自分が救ってやったお陰で文化遺産だ』っていうシーンがあるんです。
おじいちゃんは『一度でも考えたか?それによって自分が手放した人生を』そんなシーンがあるんです。おじいちゃんはちなみに、それ自体は許したけど、その後に許せない何かがあったかと記憶しています。
つまり、よかれと思ってしたことが、必ずしもその人を救わないんだなあと一昨日思ったとき(とあるノーターさんのご記事を読んだとき、ですが)、ハチャメチャ探偵長に結び付いたのです。
恐らく人であれば、その人なりの正義があるのでしょう。
ここでは、犯罪とかそういう法に触れるレベルのことではなくて、日々の生きづらさにおいて、です。
『相手の立場になりましょう』小学校で学びますよね。道徳の時間だったか・・。あの学校の授業でみな、全員が、『相手の立場になって考えよう』等思えたら世の中の傷みも消えていくかもしれない。けれど、もっと教育すべきは、私が思うに親かなあ。学校には限界がやはりありますよね。
私の頭は昭和なので、今は違うことも多々あるとは思いますが。
必ずしも誰かが思うベストがその人のベストじゃないな、そう思って。
ここからはまた違う視点からの正義って何だろうのお話です。
みんな正義を持って生きている。これはだめ、あれもだめ。そしてスタンダードから離れた人を、スタンダードじゃないってジャッジして、自分より下に見て実際そういう態度に出たり。
人は人の正義を持っていて人をジャッジして蹴落としたり。でも、学校では人は平等だって習ってる。なので、どんなダメな人間でも、どんなdisableでも、平等なんだと一応みんな習っている。
そして、良かれとおもった態度がその人にとって最善であるかどうかとは限らないということ。これは、その人にとっての、優しい選択肢もあるということ。
例えば、ハチャメチャ探偵長に戻るとおじいちゃんにとって、文化遺産登録より、自己の老後の心の豊かな人生であったように。
がちがちの正義に固められた頭からの意見より、その人にとっての優しい意見もあるっていうことだと思うんです。
老後の楽しみをあきらめたおじいちゃん
今後の人生をダメ人間だとレッテルを張られた誰か。
全部全部、自分じゃない誰かから影響を受けています。
Disableからまた失敗した。笑い飛ばして、その人が生きていけるように、それも少しでも心が楽に・・そう持っていけるのが、周りのできることで、正義とか信念の元、ことばや態度で、『あなたは最悪』と伝えることじゃない、ということ。
摂食障がいのもしもご家族を持っていらっしゃる親の立場において、娘が過食嘔吐したりしてしまうと、自分の正義のもと、暗に娘さんを批判しちゃったりしていないかなーって。摂食障がいの観点において、考えると、そのようにも思えたり。
事実は事実です。けれど、事実という事柄に苦しむときに、人は人とかかわっているから、そうなんだろうなーって思って。
1週間仕事をして、やっと明日はお休みです。
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