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日給制の通訳バイトで感じた「仕事とお金の関係」について

こんにちは。のぞみです。

今日は
決められたお金をもらって働くこと
・仕事とお金の関係

について、書いてみます。
普段の時給制バイトとは違い、日給制で給料が支払われたので色々考えたことがあったのです。

今回私は、甲府市と姉妹提携を結んでいる韓国、忠清道北部とのスポーツ交流事行の一環としての山梨訪問の通訳として参加させていただきました。

日本人からも韓国人からも何度も聞かれた
「韓国語を勉強してどれくらい経ったんですか?」という質問。

これに対してとりあえず事実として「4年」と答えるはいいものの、
歴と実力が伴っていない気がしてならなくて、恥ずかしい気持ちになっていました。

もちろん今まで通訳の経験はなく(そもそも翻訳の経験さえない)
自分の韓国語を使って誰かの役に立ち、それでお金をもらうことなんて考えたこともありませんでした。自分の実力とのギャップがあまりにも大きくて!
そして全く自信がない中で提示された、謝礼の金額に怖気付いてしまいました。

自分は、大した能力もないのに、この金額をいただいてしまってもいいのか?でも金額は決まっているんだし、、、でもでももっと韓国語上手な人はいくらでもいるし、、ううんんんん…

この金額に見合うくらいの役目を果たさなければならないと思いました。

「役目を果たさねば」と思ってできる実力とやる気があれば何も問題ないです。

でもどれだけやる気だけあってもダメで、通訳は兎にも角にも、語学力・韓国語の実力がなければ務まりません。
そしてそれは1日2日の準備でなんとかなるようなものでもありません。

通訳初日は全く日給に見合った仕事をできなかったと思います。

翻訳機でもよさそうなことを、なんでわざわざ私がきてお金を発生させているのか?
通訳のくせに韓国語もよく分からないから翻訳機で調べるし、その上にそのスポーツについても経験者でもないし、敬語もできているとは言えないし、何度も聞き返すし、ダメダメな私を呼んでしまって、、、

本当にコスパが悪すぎる私でごめんなさい、、と超超ネガティブに考えていました。

でも、2日目3日目になるにつれて、このままじゃダメだ!今の状況をなんっとかしなければ、、、!!!と考え、今の自分にできることを探してやってみました。

もちろん語学力は急には伸びないのですが、椅子や飲み物の準備をしたり、通訳を呼ばれた時は、主任通訳よりも早く走っていって通訳したりして、

足りない語学力をそれ以外のところでなんとかカバーし、日給の元を取れるような行動を心がけてみました。

すると、私の気持ち的なものですが「私はここにいてもいいんだ」と思えるようになってきました。

通訳としてアサインされているのに、通訳レベルが低いのは根本的に問題なので、(次また機会があるなら)その時まで必死で勉強しなければいけないのは当然です。

でも、もう働いている状況で

「ちょっと修行してくるんで、仕事は自分が成長した時にください」

なんて、都合のいいことも言えないので、その時できることを自分なりにやるということがベターな策かと思います。

そして、自分が自分の仕事と給料に釣り合いを感じられると、それだけで心が穏やかになるというか、仕事が楽しめるようになるんじゃないかな〜と思います。

仕事>お金でも、
お金>仕事でも、だめで。

自分や周りが納得できるバランスで成り立っていなければ
その仕事に誇りを持ったり、素直に給料を受け取ったり、働いている自分を好きになったりはできないです。

どんな基準でも構わないと思いますが、自分がお金と仕事の釣り合いを、
納得感を、得られているかがとても重要だと学びました。

これから私を含め新卒の社会人になる4年生は、学生時代の時給制のアルバイトから卒業して、月給制でお金を受け取るようになると思います。

月給が低い低いと嘆く前に、自分の仕事ぶりを振り返ってみて、今以上に高い月給をもらえるような働きをしているのかを考えてみるのがいいかもしれません。

低い月給さえもらうに値しないような働き方だったら恥ずかしいですからね。

今回、大学4年生の冬に感じたことをこうやって生意気に記録しておくことによって社会人2、3年目に愚痴をこぼすであろう自分を先回りして戒めておくこととします。笑
初心を忘れず、お金を仕事のバランスを保ちながら生きていきます〜!

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