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「エゴイスト」を観てきた

先週話題の映画『エゴイスト』を観に行ってきました。
上演前の映画館は賑わっていて、授業参観前の教室の廊下のような熱気がありました。笑

さて、映画の話をしたいのですが、ネタバレが嫌な方はここまで・・・・・


エゴイスト 東京国際映画祭のHPから


まず最初思ったのは、ポスターのビジュアルとは全く違う作品だということです。
もちろん浩輔(鈴木亮平)と龍太(宮沢氷魚)の二人が愛を深めることはポイントだけど、そういう話じゃないなということです。

浩輔と龍太は疑似的は『母(浩輔)と子(龍太)』で、
浩輔と龍太の母も疑似的な『母(龍太の母)と子(浩輔)』。
とにかく母との愛に飢えていた浩輔が『「母親役」も「息子役も」両方やってみた』って感じに見えるのです。

龍太(宮澤氷魚)も龍太の母(阿川佐和子)も最初は浩輔(鈴木亮平)の献身的な優しさに戸惑うのに、結局は受け容れてしまいます。
一度ではなく何度も。そうしているうちに二人はまるで浩輔の言いなりのようになっていきます。
でも、それは龍太や龍太の母にとってはつらいことではなくて、今まで守られてこなかった人たちが初めて経済的に満たされて、それだけでなく人間的な優しさに触れることができた・・・お互いにそれぞれのエゴに正直で、欠けたピースを補い合う関係だったのだと思います。

龍太の母が入院する病院で、浩輔が泣きながら眉を書くシーンが印象的でした。
そんな時でも「美しく整った」自慢の息子でありたいという自意識は忘れないし、貯金が底をつきかけているのに高い梨を買うシーンは、「愛が解らない」ことの象徴的なシーンだと思います。
そういうシーンを通して、浩輔は自分を犠牲にして全て捧げて、それが愛だと信じて・・・そういう舞台を「女優」として自作自演している・・・のではないかと感じるようになりました。

「浩輔と龍太」「浩輔と龍太の母」それぞれのエピソードは優しく美しいのに、いつその人が豹変して関係が壊れるか分からない緊張感がずっとありました。
それは、浩輔と浩輔の父(柄本明)が言葉少なに浩輔の母の思い出を語る食卓のシーンとは対照的でした。

劇場内ではすすり泣きの声があちこちから聞こえていたけれど、僕は意外と終始冷静でした。
むしろ浩輔の筋書きに気持ちの中では加担していて、破綻しないかヒヤヒヤしていました。
エゴイストの共犯者のようなものです。
観終わったあとの抜け殻感は、観て良かったと感じられた証です。