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after 〇〇 20230603

今日観てきた映画から。ややネタバレあり。

終わりに向かうほど不穏になってゆく父親の姿に、一気に飲み込まれた。多分劇場にいた人たちもそうだったに違いない。すすり泣きとかでもないのに、こんなに静かに誰も動かないエンドロールは僕は初めてだった。

娘の視点で、11歳の「女の子」が「女性」に変わろうとしていく様子と、兄というほど無遠慮になれなくて、父というには頼りない30歳の父親の関係に目が離せなかった。

最初は父におとなしくアフターサンを塗ってもらっていた娘が、次は一旦「自分で塗るから」と断るけど、「背中が塗れてないから」と手伝おうとする父にそのまま塗らせてしまう。
小さな言い争いをして父の繊細さを感じた(のかもしれない)娘は、泥の温泉では自分から「背中を塗って」と頼んで、父の背中にも塗ってあげる。
・・・ただ守られていた存在が、自分で愛する人に何かをしようとする。それでも救われないほど絶望は深かったのかな。

『愛してる 忘れないで』 ってずるいな。でもそれが一番残るよなぁ。
夏の魔法も後押しして、何倍もきれいな思い出に見えた。

◆◆◆

帰りながら別れについて考えた。
(LOVEとかじゃないけど)好きな人と次の約束をせずに別れてしまうことがある。例えば仕事やバイトの仲間だったり、クラスメイト、美容師さんとか整体師さんみたいなよく行く店の人、そういう1~2年コンスタントに会っていて、生活が変わって会わなくなるような人たち。

最初は淋しく思ってるけど、そのうちだんだん慣れてきて、いないことが当たり前の人になる。だけど、時々ふとしたきっかけで思い出して懐かしく思ったり、ツーンと込み上げてくることもある。

ただ、もうその人にもう一度会いたいとはあまり思わない。時間が思い出を現実に呼び戻す扉に鍵をかけたような感じがする。
今、思い出して淋しいと思っていることも含めてその人たちとの思い出で、もうそこを書き替えたくないからだ。

そういうことを言うと、淋しい奴だなって思われるかもしれないけど、愛はあるって分かって欲しい。何が正解かなんて分からないけど、「人生のほんの一瞬でも接点があって、いい思い出ができたならそれでいいじゃない」と思う。

ここ数年、転勤や転職で別れを繰り返してきたけど、そのたびに思うように継続できない人間関係に悩んできた。ずっと続けなきゃダメ。意味がないと考えてしまい、新しい人間関係を構築する前に怖くなってしまう。
もう実際には機能していない人間関係を大切だからと全部抱えようとして、でも持ちきれなくて立ち往生しているような感じだった。
そして波風を立てない一人をいつも選ぶようになってしまった。
もっとそのまま、今自分の周りにいる人を愛せたらいいのに。

◆◆◆

ちょっと脱線したけど、映画に戻って。
家族(特に両親)との別れは特別なんだろうな・・・。僕は44歳で、一緒に暮らしていたのは大学を卒業するまでの22年と、休職していた頃の1年の合計23年。あと2年で僕の人生は、そばに両親がいない時間の方が長くなる。

最近両親に会ったのはゴールデンウイーク。1年2か月ぶりだった。兄も一緒に4人そろったのは12年!ぶりだった。
そうやって濃度を薄めることで、別れに耐えられるようにうまく設計できているのかも知れないなぁ