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ぼくは社長でネフローゼでHSP VOL82

おはようございます^ ^🤚

朝の挨拶から書きはじめるなんて初めてですが、なんかいいもんですね^ ^

突然ですが、いつも思っていたことですが、お題の「日記」はいらないんじゃないかなと。

ぼくの場合、noteのアップは毎朝か午前中にしているので、日記にはならんのではと、どこか常識や普通や言葉の意味に拘っていました。

そんなの関係ないと思う自分と、そうでない自分とが静かに、それはそれは静かに争うのです^ ^

面白いでしょ^ ^
ということで、「日記」は外すことにしました(笑)

今朝のヘルスサイン↓

今日は、ネフローゼの月一通院日です。
行って参ります^ ^🤚

さて、昨日、悲しい知らせが突然やってきました。

ぼくの尊敬する方が亡くなりました。
いつかこの日が来ることはわかってはいましたが悲しいです。
やっぱり大好きな人が亡くなるのはとてもとても悲しいです。

以前、Facebookにその方のことを投稿した記事があるので、noteでもご紹介します↓

【96歳の婦長さん】
 ぼくが、特別養護老人ホームの寮父時代にお世話になった看護師(当時は婦長さんと呼んでいました)さんがいます。当時は、看護と介護の間で、お互いの正しさばかり主張して、なかなか折り合いがつかないことだらけで、ことある毎に衝突していました。衝突の要因は、それぞれの持つ専門性の主張でした。
 しかし、話し合いの繰り返しの結果、次第に焦点を自分たちの専門性の主張ではなく、お爺さんお婆さんにとって何がベストなのかを目的に、それぞれの専門性をどう発揮していこうかに焦点を当てて話をしてゆくと、お互いの実際の看護や介護がうまくかみ合うように変わっていきました。その方にとって、とてもいい感じになっていったのを覚えています。
 その基本となったのが、どこに焦点を合わせるかでした。人はそれを目標、目的、到達点、目指す方向、理念などなどと様々に表現されますが、その本質は、今目の前にいる方の“生きる幸せ”にどう応じるかだと思いました。そしてお互いの仕事の目的を共有することで、互いの人格を尊重する関係へと繋がっていったのです。
 その婦長さんは、今現在、96歳で現役の看護師さんとして、デイサービスセンターで利用者様の健康をチェックするなどの仕事をしています。凄いです。僕は尊敬を通り越して、神様だと思っています。
 それ以来、ぼくの「人」としてのお手本は婦長さんになりました。
 ぼくたちは、パズルのピースのひとつです。それぞれがそれぞれの場所で輝くように生きることではないでしょうか。ぼくたちの前にはいろんな壁が立ちはだかります。でもどの壁も「お互いに補い合うことで乗り越えられる壁」ばかりです。きっとぼくたちは、この壁に立ち向かえられるように、バラバラな形をしているのだと思います。お互いの穴や凹みを補えるように。

97歳の大往生でした^ ^
心よりご冥福をお祈りします。
安らかにお休み下さい。

では、また明日^ ^🤚

今日のインスピレーション↓

【一寸先は闇”じゃなくて“一寸先は光”と思えばい】
世の中で言われている常識に騙されない惑わされないように
もっと自分を丁寧に扱いなさい
すると他の人にも丁寧に関われるようになる

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