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勧修寺について語りたい(京都シリーズ)


最近の京都はインバウンドが復活して外国人観光客の方も多く、国内から観光に来る方も含めて、いつ訪ねても物凄い人の多さだな‥と圧倒されてしまう。

特にその中でも東山エリアと嵐山エリアには人の流れが集中しており、時間帯によっては普通に歩くのもままならないほどの混雑に巻き込まれる。
この辺りのエリアにはできれば早朝か夕方など、混み合う時間をできる限り避けて訪れたいところだ。

では、京都の魅力的なスポットも東山エリアと嵐山エリアに固まっており、他のエリアは魅力に劣るのかというと、全くそんなことはない。
今回はそのエリアを離れ、山科区にある勧修寺という寺院を取り上げていきたい。


1.立地


小野駅から勧修寺に向かう途中の川沿いの景色

勧修寺があるのは京都市の山科区。
いわゆる京都の洛中というエリアから山を東に越えたあたりに位置する。

京都駅からだとJRで山科駅という山科区の中心駅に一駅でアクセスすることができ、そこから地下鉄の東西線に乗り換え数駅の小野駅が最寄駅だ。
時間に余裕があり、地下鉄の一日乗車券を持っている人は、烏丸御池まで烏丸線で行き、そこから東西線に乗り換える行程の方がいいのかもしれない。

小野駅を出て西に行くと勧修寺が、逆に東に行くと小野小町にゆかりのあることで有名な随心院がある。せっかく小野駅まで来たのならこの二箇所は是非セットで回りたいところだ。

更に小野駅から一駅地下鉄に乗ると醍醐駅に。
醍醐駅から歩くか随心院から南下することで、世界遺産指定もされている醍醐寺にもアクセス可能だ。

今上げた三つの寺院は全て真言宗各派の本山であり、そんな寺院が頑張れば徒歩で回り切れる範囲内にあるというのも山科エリア(醍醐寺は伏見区だが)の魅力の一つ。

かつて平安時代には平安京の京中に寺院を作ることが基本的には禁止されていたため、当時で言うところの郊外のような位置付けだったこのエリアにそういった格のある寺院が集まっているということらしい。

ちなみに勧修寺がある付近の地名にも勧修寺という名前がついているのだが、寺院の名称がかじゅうじと読むのに対して、町名の方はかんしゅうじと読むらしい。
かんしゅうじと繰り返し早口で読んでいるとかじゅうじとなってしまう気がするので、徐々に読みやすい呼称が定着していったんだろうか。

2.簡単な基礎情報


勧修寺の入り口あたり

勧修寺が誕生したのは平安時代で、開基は醍醐天皇と言われている。

醍醐と言えば醍醐寺。
当然醍醐寺も醍醐天皇にゆかりの深い寺院であり、京都を巡っているとそうした繋がりが狭いエリアで感じられることが多く、非常に興味深い。

元々は邸宅だったところを寺院に改めたということだが、寺院の成り立ちがこういった経緯のところは多い気がする。
やはり貴族の邸宅なんかだと元から広い敷地を持っているので、寺院の伽藍を整備するのにはちょうどいいということなんだろうか。

この勧修寺は、京都にいくつかある門跡寺院(天皇家や公家の方が住職をしていた寺院のこと)の一つで、そのことからもなかなかの有力寺院であったことが伺える。
真言宗という宗派の中でも山階派の大本山に位置しているので、宗教的に見ても一目置かれているのではないだろうか。

3.境内の見どころ

I.庭園


庭園の端の方にある観音堂と桜


勧修寺といえば庭園!というイメージを持っている人も多いのではないだろうか。
氷室園と呼ばれている庭園はその名の通り氷室池を中心に据えた池泉回遊式庭園で、多少混雑したとしても悠々回ることができるくらいの広さがある。
桜の咲く春、紅葉の秋はもちろんのこと、新緑が楽しめる季節に行ってもその魅力を満喫できること請け合いだ。
氷室池の周囲の樹木は細やかに手入れされているといった感じではなく、なかなかな勢いで生い茂っており、野趣が感じられまた他の寺院の庭園とは違った味わいがある。
その氷室池は周囲をぐるっと一周できるそうなので、探検気分を味わいたい方は是非挑戦してみてもらいたい。

II.建築物


うっすら見える勧修寺灯篭。

境内にある建築物、宸殿、本堂、書院はいずれも天皇家ゆかりのもので、そのせいかどことなく雅な雰囲気が漂っていると感じるのは私だけだろうか。
あと、このような形で建物を下賜されたという話は様々な寺院で見聞きするが、元々あった建物をその形を崩さず(一回解体するのかもしれないが)、綺麗に別の場所に移す技術がそんなに昔からあったとは、驚きである。

ちなみに宸殿は明治の初期に勧修小学校(これも”かんしゅう”と読むそう)の校舎として使われていたらしい。
廃仏毀釈の影響なのか、他に適切な建物を建てる余地がなかったからなのかは分からないが、こんなところで授業を受けていた当時の学生達はどんな気分だったんだろうか。
この勧修小学校は現在も存続しており、勧修寺から少し北に行った辺りにある。

書院の周りにはハイビャクシンの生い茂ったコンパクトな庭園があり、その中に水戸光圀から寄進したという勧修寺灯篭がある。
上の写真にあるように、通ろうと灯篭を掛けた案内が微笑ましい。
ハイビャクシンのインパクトも非常に強く、ひょっとすると勧修寺と言えばハイビャクシンと思っている人もいるかもしれない。

III.その他

勧修寺について調べていて驚いたのが、寺院自体の公式サイトやSNSが全く存在しなかったことだ。
SNSに力を入れて観光客を誘致している寺院も多い中、勧修寺はそれをしていない。
調べた限り、京都の本山クラスの有名寺院で公式サイトもSNSも存在しなかったのは勧修寺の他では大徳寺くらいだった。
大徳寺は基本的に非公開なのでさもありなんといった感じではあるが、通常公開をしている勧修寺がこういった集客ツールを活用していないというのはやはり意外である。
ただ、そんな条件下でも筆者が訪れた春には多くの観光客が訪れていたし、様々な映像を見た限りでもかなりの人が訪れていることがうかがえる。
要は、それが勧修寺という場所に魅力があることの証明かもしれない。
ちなみに筆者はこの勧修寺のようなスタイルも、SNSを巧みに活用していくスタイルもどちらもアリだと思っている。

4.最後に

ということで勧修寺についてつらつらと書いてきた。
勧修寺の魅力が少しでも伝わっていれば幸いである。
寺院を巡る際の楽しみ方として、複数箇所を回ってその違いを堪能するということがあると思う。
勧修寺に行った場合、健脚のあればそのまま徒歩で随心院、醍醐寺と有名寺院を巡る行程を取ることができ、更に時間が許せば山科駅に移って毘沙門堂まで歩く、桜の時期であれば山科疏水沿いを歩いてみるなんていうのも乙だと思う。
少しでも京都を巡る際の参考になったら幸いだ。

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