見出し画像

アダルトチルドレン?

この言葉の定義がよくわからないのだけれど。

昔は誰かと同じがよかった。「普通」と呼ばれるレールが恋しかった。でもどうしても自分は他人と違って、いくら猿真似しても「他人」になることはできなかった。誰かと同じなら、「自分」だけが否定されることはなかった。「同じ他人」だって否定されるから。今はどうしてか「唯一の自分」を求めてる。

誰かと同じでないことを望み、時には共感すら嫌うことがある。そして誰でもない、「私だけ」を見てくれる人を探してる。一番になろうとしてる。あの時は、ずっと二番でもよかったのに。同列に誰かがいることを許せたのに。これは成長なのか自立なのか、それともワガママになったの?今更芽生えた自我に振り回されてる。極端な自分に戸惑う。嫌気が差すことも多い。

「何がしたいの?」これを聞かれることが、わたしも苦手である。目標もなく、ただ漠然としたことばかりを述べ、自分のつまらなさをひしひしと感じた。達成に何年もかかりそうな目標ばかり書き連ね、読み返して、書き直そうとも思うレベル。

ひとつひとつ達成できることを書いていけばそれも減っていく。山積みにはならないはず。もう「誰かと同じレール」は求めないし「漠然とした目標」も捨てる。できないことは時間をかけてやる。昔から欠如していたものはきっと「明確な目標」と「辛抱強さ」「自己肯定感」。もっと今の自分に自信持つよ。どこかで安心しようとする時に求めるのが、「同じ他人」なのかな。で、自分を見てほしい時に欲するのが「唯一の自分」なのかな。ズルいな。

わかんないことはまだまだあるのだけれど今日はもう寝る。

休みの日の前のは本当にこれだから困る。またね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?