だからこそ、日本は素晴らしい
今回取り上げる本は石平さんの『私はなぜ「中国」を捨てたのか』です。石平さんは中国四川省成都生まれの元中国人です。2007年に帰化されて日本人になられました。石平さんは北京大学出身のスーパーエリートで中国での将来が半ば約束されていたような方ですが、なぜスーパーエリートである石平さんが中国へ捨て、日本人になられたのかが書かれています。
毛沢東を信奉
石平さんは幼い頃は毛主席(毛沢東)の小戦士で毛沢東のために戦うことを夢見ていました。小学校の頃から毛主席をほめたたえる作文で表彰されたことがあるほどです。小さい頃は中国共産党のために身を尽くすことを夢見ており、共産党幹部の親戚からも絶賛されるほどでした。石平さんが生まれて間もなくして、中国では文化大革命という野蛮なクーデターが起こりました。文化大革命は都会から地方へ波及していったこともなり、石平さんが成都から祖父母の家に疎開したときは文化大革命の影響を受けていない昔の中国が残っていていました。祖父母の家で論語を祖父から教わります。
石平さんの最初の転機は祖父が石平さんに教えた論語の紙を夜にこっそり燃やしているのを発見したことです。文化大革命はこれまでの中国文化を否定する野蛮なもので論語のような古典に触れることなどあってはならないことで共産党に見つからないように夜な夜な泣きながらその紙を燃やしていたと書かれています。それを見た石平さんは共産党のやっていることに違和感を覚えるようになります。
中国共産党は欺瞞だらけ
北京大学で哲学を専攻した石平さんは中国の古典を学びたかったのですが、共産党政府がそれを認めることなどなく、マルクスやエンゲルスに関する思想しか研究できず辟易としていました。大学在学中に北京大学で中国の民主化運動が起こり、石平さんも参加し、大学も黙認していました。しかし、大学も共産党からの圧力により、それを黙認できなくなってしまい、民主化運動が禁止となります。
民主化運動をともにしていた大学時代の友人が日本に留学していて、彼のすすめで日本へ留学します。ここから石平さんが日本に心酔していきます。留学して間もなく、中国で天安門事件が起こり、ともに民主化運動をしていた仲間が亡くなったことを知り、共産党が中国を支配している限り、中国が民主化することはないと絶望し、中国との決別を誓いました。石平さんは天安門事件の詳細については一生口にしたくないほど凄惨なものであったことが読み取れます。
中国共産党が台湾を狙っていることは昭和の時代から言われていて、ここ最近それが現実味を帯び出しています。そして、日本への侵攻も本気で考えています。ここ最近になって中国の脅威が叫ばれるようになっていますが、石平さんが日本人になる前からその危険性を指摘しています。
大袈裟だと思われるようなことが共産党の方針として打ち出しており、それに沿って着々と事を進めています。日本人は生まれながらにして悪魔であるいうようなことや核兵器で日本人を殲滅させるといったようなことが中国で教えられ、反日の英才教育をしています。社民党や立憲民主党や共産党と主張と論理が全く同じで彼らが繋がっていることは日の目を見るより明らかであることがこの本からもわかります。
中国は日本に歩み寄る気など一切なく、日本を属国にすることしか考えていません。対等に仲良くという考えが中国共産党には全くありません。彼らは1世紀遅れの帝国主義そのものです。
日本は素晴らしい
石平さんが幼い頃、漢詩の世界に出てくるような風流な景色が中国にもありましたが、文化大革命以後、それらの風流な景色はなくなり、落ち込んでいました。しかし、その景色は海を越えた日本にあり、古代中国の思想は日本に残っていることを知りました。石平さんは中国共産党の中国が嫌いなだけで、中国の歴史や文化が嫌いではありません。むしろ、そういったものへの造詣が深い方です。
古代中国の文化は海を越え日本に残っていることがわかると日本を第二の故郷と思うようになります。日本は中国共産党と違い、歴史や文化を大切にする国で、この日本の姿こそ中国が見習うべきであると書かれています。中国が高度な文明を持っていたことは事実で一時は世界一でした。しかし、欧米列強の台頭、文化大革命を経て、中国は完全に昔の中国ではなくなりました。文化大革命がいかに野蛮なものであったかを物語っています。
論語の思想を体現しているのは日本人でその思想が根付いている日本は非常に素晴らしいと評しています。だからこそ、石平さんは日本人になる選択をされたのです。石平さんが求めていた風景は日本にあり、求めていた世界も日本にあったことがよくわかります。だからこそ、石平さんの日本に対する思いが非常に強いことが伝わってきます。
2007年に日本への帰化要件を満たし、日本へ帰化します。帰化した翌年に五十鈴川で体を清め、伊勢神宮で日本国民になったこと報告されます。亡くなった三宅久之さんはこの本を読んで涙したと仰っていました。