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生きるだけ

最近はなにも考えずに生きるようにしている。ねこから学んだ。身体も教えてくれた。
前までは考える事しかできなかった。1日中、特に夜 考えて考えてだんだん視野が狭くなった。ああいう時は物理的にも視野が狭くなる。端から瞬きする度暗くなっていって何も見えなくなる。なんだかぐるぐる地面が動いて、心臓の音もうるさいし、目を閉じても地面が動く。
そういう日は日記を書いた。2020年から書いているノートがある。その年から今まで悩みはずっと変わっていない。今日みたいな夜に読みかえす。少しだけ書き加えた。ひさしぶりにというか、ふと遣る瀬ない気持ちになって書きたくなった。付箋が貼ってあるページを開く。(おそらく)村上春樹のことばがメモしてあった。

あまり自分については考えないようにして生きています。なるべくほかのことについて考えるようにしています。ほかのことについてどう考えるかという、姿勢や考えの中に「あなた」はいます。その関係性が大事なのであって、あなたが誰かというのは、じっさいにはそれほど大事ではありません。

エッ…言語化うますぎ・・ とまた感動。2021.3.22のメモに書いてあった。やっぱり考える事が全然変わっていない。その日のメモも載せておく。

自意識はわたしを殺す。自分のことをあまり考えないようにして暮らす。ただ、やるべきことを淡々と行ってただ生きる。
きっとそれが強く在るということだと思う。単純なことが一番難しい。
生きることは続けること。

ねこを飼い始めてからこの気持ちはより大きくなっている。ねこを見ていると、ああ生きてていいなと思う。水を飲むタイミング、ストレッチの瞬間、グルーミングや起きる時間すべて身体の声を聞いて動いている。きちっと生きてる。いやはいや、いいよはいいよってまっすぐ伝えてくる。彼女の眼には裏がない。わたしに見せる姿に偽りも裏もない。かけひきや思惑がない、なんていいんだろうと思う。姿だけを信じればいいから。彼女のように単純に生きることがどれだけわたしにとって難しいか、言葉にできない。

考えないといいつつ、たくさん考えてこの文章を書いている。なんだか馬鹿馬鹿しくなってきたのでおわり。また続きを書くかも。

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