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面倒はさらなる面倒を生む

大人と自覚したのはいつだったか分からない。


その曖昧な定義のまま話を進めるのは申し訳ない気もするのだが、ひとまずこのまま話を進めるとする。


大人になってから分かったことがある。



それは「面倒くさいことを放っておいたら、もっと大きな面倒をまねく」ということである。


僕は根っからの面倒くさがり屋だ。
部屋にはいつも手の届く範囲に必要なものが散りばめられていたという過去がある。高校のとき寮に入っていたのだが、朝の時間を少しでも長く寝たいと思い制服を着て寝たこともある。それぐらい面倒くさがりだ。


そんな性格だったのだが、僕は部屋の整頓を心がけるようになり、出来るだけキチンと身をこなすように心がけている。


それにはある大きなきっかけがあった。




一人暮らしをしていた時のことである。


僕は少しずつ料理をするようになっていた。
一人暮らしで一番お金がかさむのが食費である。毎回コンビニ弁当では栄養も偏り値段もかかる。しかし、料理をすれば自分の好きな食べ物を安い値段で作れるということに気づき料理をするようになっていた。

とは言うものの毎日とはなかなかならない。
疲れた時は作る気がしないし、急な友人からの飲みの誘いに応じたい。そんなわけで気が向いた時だけ作るようになっていた。


料理をするのはいいのだが、ひとつどうしても嫌なことがある。

それは皿洗いだ。
料理をする人はここで「うんうん」と頷いてくれていることだろう。料理をする時は腹が減っているから面倒なことにも多少目を潰れるのだが、皿洗いをする時は食事を終えた後のことである。となるとお腹もいっぱいで「料理をする」という目的を達成した後だからどうも皿を洗う気になれない。


そこで僕は考えた。
皿洗いをしなければならない状況を作ればいいのだ。とても理にかなったひらめきだった。皿洗いをしなければならない状況とは如何なる時か。
それは皿がない時である。即ち、次の料理をする時である。


そういうことだ。
皿洗いをするのが次に料理をする時になった。
米を洗って米を炊いている間にシンクにつけておいた食器を洗うようになったのだ。皿に水を入れて浸しておけば汚れも取れやすい。そう思って僕は食べ終わった食器に水を入れ次に料理をする時までシンクに置いていた。


しかしここで問題が生じた。
先ほども説明した通り、毎日料理をするわけじゃない。タイミングやその日のやる気というものがある。その日はおよそ三日ぶりにぐらいに料理をする時だった。
「今日は久しぶりに料理をするぞ」そう意気込んで家に帰った。玄関に入ってキッチンを横目で見たら、何やら黒い物が目に入った。


僕はこのとき見てはいけないものを見てしまった。

そう、それは洗い残したお茶碗の中の水をゴキブリが美味しそうに水を飲んでいたのだ。


こんなにおぞましいものはない。今こうして思い出すだけでもなんとも嫌な気持ちになっている。毎日、皿を洗っていればこんなことにならなかったのかもしれない。僕はそいつを退治することができず、後日にバルサンを炊いて、今まで使っていた食器を全て処分した。


面倒なことを放っておくとかなり面倒なことになる。





これが身をもって体験した話である。



『痛みという信号』にも書いたのだが、僕は今絶賛奥歯が痛い。


痛みがないし、歯医者に行くのが面倒だから放っておいているのだが、今治療をしとかなければ更に面倒なことになりかねない。


そう思いながらもなかなか歯医者に行く気がしないのである。


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