無人島の法則について
「無人島の法則」
いつしかこんな言葉が頭の中にあった。
どっかの学者や心理学者が唱えたものだと思っていたのだけれど、ネットで検索したところ、どこにも引っかからなかった。
だからこの言葉は僕が作り出した言葉かもしれない。違ったらその時は大恥を掻く姿を見て全力で笑って欲しい。
無人島の法則。
それは、「人は与えられた選択肢の中で判断する」ということ。
何かの事態が起きて無人島に男女が二人辿り着いたとする。それは船で遭難して辿り着いたかもしれない。はたまた飛行機が不時着したのかもしれない。
なんにせよその島には自分たち以外誰も人間がいない状況である。その時相手の異性に対してどういう行動を起こすか。
結論から言うと、僕自身は間違いなくその相手の女性を愛そうとすると思う。
その人がタイプであろうと、なかろうと。その人が年上であろうが年下であろうが。
生物学的な観点から子孫を残すためそれは当たり前の行動と言う人がいるかもしれない。
しかし、それは違う。与えられた選択肢が他にないのだ。そうせざるを得ないと同時にその答えに疑問を持つことさえしないのだ。
僕はもちろん漂流したこともなければ、無人島でこのような状況に陥ったことはない。
しかしそれと似たような環境に身を置いたことはある。
高校の時、クラスメイトのことを好きになったのはこれに近いと思う。
学年で可愛い子は他にもたくさんいるのに、クラスという小さな枠組みの中に好きな子がいた。
第一印象こそ少しかわいいなぐらいだったのが段々と好きになっていくのだ。
それは理屈でこねくり回して、優しいだの笑顔が素敵だのと後から言うことは容易いのだけれど、それは理由を探しているに過ぎない。
そして視野が狭い人ほどこの感覚になりやすい。そしてその枠組みが小さければ小さいほど運命という言葉に置き換えてしまうのだ。
もっと少数の単位で言えば、コンパがそうである。
男女4人でテーブルに向かい合って座る。その4人の中で一番の人を選ぼうとする。
コンパや異性に慣れている人は無理やりその中で選ぼうなんてバカなことはしない。
なぜなら目の前の異性よりも地球上にたくさんの素敵な人がいるのを知っているからだ。
しかし異性に慣れていない人はこれには当てはまらない。
その人にとって異性は目の前の人たちが全てであり、それ以外の素敵な異性などいないとさえ思ってしまう。
相手の異性も同じような熱量で自分のことを見てくれていたらいいのだが大抵の場合はそういう訳にはいかない。
惹かれる女性はいつも自分より経験豊富で他にもいい男がいることを知っている。
だからこちらの熱量との温度差が生じる。
一般論を語るつもりが高校の件から自分の実体験を書いてしまった。
バレないようにこっそり添削したらいいのだが、これこそがリアリティであり鮮度である。
以上の経験を20代前半にかけて経験してきた。そして僕はいつしかこの現象を無人島の法則と名付けていた。
世界は広い。
あなたがいる世界はほんの一部かも知れない。
目の前のことが全てだと思うなら大切にした方がいい。それはとても幸せなことなのだ。
そして今の環境が自分の精神を脅かすほどの環境ならとっととその無人島は抜け出した方がいい。
受け入れてくれる環境は思っている以上にたくさんある。
移り変わった環境でその時同じような局面に遭遇したら、自分に落ち度がなかったかを冷静に分析してみるのも大切だ。
そんな風にうまく生きるために環境を変え続けるのも一つの方法だ。
僕が掲げる理想はこうだ。
世界は広い。
魅力的な場所はいくつもあることも目で見て肌で感じてきた。
その上でそれでもこの場所がいいと言いたい。
そう言えたら最高ではないか。
そんなことをふと考えてみた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?