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リップを塗る行為は恥ずかしい。口元の心理学

人に見られて恥ずかしい行為とは何か。


よくよく考えたらあまり多くはない気がする。
もちろん性的な部分はそうなのだが、そんなのは見せるとか見せないという次元の話ではない。


僕が今回言いたいのは犯罪行為ではなく、日常の一コマにおいてうっかり見られると恥ずかしいというやつだ。


こんな風に書いている時点で実はテーマは決まっている。

そう、僕が人に見られて恥ずかしいなと思うのは「リップを塗っている時」だ。

この季節、唇が乾燥するからリップは常にポケットに入れている。
いや、季節に限らず唇がよく乾く体質なのか常に持ち歩いている。
持ち歩いているものだから、唇が乾燥した時はそのリップを塗りたくるのだが、それをうっかり人に見られてしまった時になんとも恥ずかしくなる。
見られるならまだしも、人と目があった時は最悪だ。


では、なぜリップを塗る姿を見られるという行為が辱めの対象になるのか。少し考えてみるとしよう。

まず、考えられるのは、リップは女性がするものというイメージがある。
それを男性であり、そこそこオッサンになってきている自分がするということに違和感を感じているのかもしれない。これが20代前半の中性的男性がすると胸キュンポイントになるのかもしれないが、残念ながら僕はおっさんだ。それを自分で認めているからイメージにそぐわないリップを塗るということに恥ずかしさを感じているのかもしれない。
となると、女性の方はリップや口紅を塗るときに見られるということは恥ずかしいのだろうか。そこに恥ずかしさがあるのなら、男性である僕がリップを塗るという行為に恥ずかしさがあるという仮説は覆されることになる。
女性の皆さんどうだろうか?

話を進めるため、女性もリップを塗る行為を見られることが恥ずかしいということにする。
そうなった場合、リップを塗る行為そのものではなく、どうやら口元を見せるということに恥ずかしさがあるのではないか。


あくびをするとき手で口を覆うように、品のいい女性が笑うときに口元を隠すようなことだ。そう考えるとどうやらこちらの説の方が真相に近い。

昭和の有名女優は人前で食事をしなかったということを聞いたことがある。それぐらい口元を見せるということは恥ずかしいことのひとつとされてきたのだ。
また、数年前に話題となった野々村議員が記者会見のときに水を飲むとき口元を隠していた。


どうやら心理的にも口元には何かありそうだ。

一般的に言われているのが、口元を隠すということは「守る」という意味がある。
つまり、品の良い女性や先ほどの女優が口元を隠すということは、「私はそんなに軽い女じゃないのよ」と見せることにある。それゆえ、男性側からするとその牙城を崩したいとも思うし、魅力的な女性に映る。
そして、野々村議員が水を飲むときに口元を隠すということも単純に大勢の前の人で口元を見せるのは失礼だと思っているからではなく、何かを隠すために守っていたからではないかということになる。



なので僕がリップを塗るところを見られて恥ずかしいというのは、素の自分を見られたことにあるのあるのかもしれない。
これからはミステリアスな印象を持たせるために口元を隠してリップを塗ろうか。


ちなみに口が乾くという心理状態は「ノーのサイン」らしい。
僕は常日頃、世間に対してノーを突きつけていることになる。
なんともパンキッシュな性格の持ち主だ。悪くない。


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