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おっぱいについて

「銀の時間をうまく活用しなさい。」

中学の時の数学の先生が言っていた。

僕は数学はてんでダメだったのだけれど、この言葉はよく覚えている。

この銀の時間とは、夕方から夕食にかけての時間で人間の中でとても集中できる時間帯なのだと説明してくれた。
受験を控えた中学三年生の頃に教えてもらったと記憶する。

では金の時間とは何かというと、朝起きてから昼ごはんを食べる前だと教えてくれた。

この金の時間を活用するためには休みの日に限ったことであるため、平日のうちは銀の時間をうまく活用しなさいということだった。

そんな言葉が何年も頭に残っていた。

月日が経ち、多少なりとも知識が増え、このざっくりとした「金の時間」「銀の時間」の正体が分かった。

それは人間にはサーカディアンリズムという体内時計があり、それはCSREのサイクルによって活動する。
以下メンタリストDaiGo著 「直観力」より

CSREとは

C=Concentrate 集中して思考する
S=Stop 思考を一度止める
R=Relax リラックスする
E=Eureka ユーリカ 見つける

と説明している。

これはセレンディピティ能力を発揮するためにも、このサイクルが重要である。
クリエイトな発想をするときはリラックスした状態でひらめく。

そしてこのサーカディアンリズムでは午前10時は認知能力が高く、集中しやすいとされる。

この時間帯こそが、中学の時に数学の先生が言っていた「金の時間」なのだと思う。

自身の生活を振り返ると、確かにこの時間は貴重であると言える。

物事を考える時、質の良いひらめきはいつもこの時間帯である。

それは曲を作る時、鼻歌混じりに拾い上げたメロディーであったり、歌詞に行き詰まる時。
また、小説の構成を考える時、主人公が僕の頭の中で動いてくれるのはいつもこの時間帯であった。

そんなこんなでこの時間をとても重宝しているし、この時間に湧き上がったアイデアは大切にしている。

先日、午前9時30分を回った頃、僕はふとこんなことが頭を駆け巡った。

それは、

おっぱいとは、なぜおっぱいと言うのだろうか。

なぜか唐突におっぱいの名前の由来が気になりだしたのだ。

馬鹿にする事なかれ。

これを思いついたのが、友人と深夜まで酒を飲み散々下ネタが横行した末に、行き着く議論であれば好きなように罵ってくれても良い。

だがしかし、これは素面の状態で、しかも貴重な金の時間に湧き上がった問いなのである。
故にこれはとても尊い問いに違いない。

僕は誰に相談するでもなく、文明の利器を使って調べるでもなく一人でこの問いに挑戦してみた。

まず、おっぱい。

この字体がすでに面白い。

「おっぱい」という字は丸みを帯びているし、これが「けっぱい」とかであれば堅そうだし同じ促音でも印象が違う。

同じ母音でも「そっぱい」や「とっぱい」ではない。

かろうじて「もっぱい」ならなんとかなりそうな気もする。何がなんとかなるのかは分からないが。

やはりここは「おっぱい」だ。

ここで議題を進める前におっぱいの話をしているのにも関わらず母音(ボイン)と表現したことに謝辞を述べたい。

おっぱい。

ローマ字でOPPAI

やはりここでもふくよかさなイメージを保っている。

ではどうしておっぱいと言うのか。

正式名称としては乳房だろうか。

乳房であるとやはり形式張った印象をもつ。

いや、ここまでくると逆に乳房の方が面白いのだが、ここはおっぱいで話を進めよう。

考えるにおっぱいとは小さな子どもが言いやすいように使われている愛称みたいなものであると思う。

マザーが派生してマミーであるように、車のことをブーブーと教えるように。

おっぱいもその類かもしれない。

となるとおっぱいの元来の言葉は「大きい肺」、もしくは「大きい胚」であろうか。

おおきいはい・・・

おおはい・・・

おっぱい。

そんな径路を辿ってきたのかもしれない。

僕は一人会議の末にそんな結論に行き着いた。

そういえばおっぱいについて異を唱えたいことが一つある。

それはおっぱいが好きな人のことを「おっぱい星人」と呼ぶ風潮があることだ。

おっぱいが好きな人はそれは「おっぱい好き星人」ではないか。

「火星人」は火星が好きな人を「火星人」と呼ぶのではない。「火星」に住んでいるから「火星人」なのだ。

そして、クレヨンしんちゃんで言うところの「ケツだけ星人」はその名の通り「ケツだけ」だからである。

今後おっぱい星人を名乗る人物が現れたら僕は全力で否定してやろう。

ここで、残念なお知らせである。
ここまで読んでくれた読者を裏切りたいと思う。

こんなにおっぱいについて語ったものの、僕自身は特別おっぱいが好きというわけではない。

つまり「おっぱい星人」でもなければ「おっぱい好き星人」でもない。

大きい、小さいで言えばあった方がいいかなと思う程度だ。

しかし、その答えこそが全てではないか。

無くてもいいけど、あればいい。

それはエンターテイメントの本質を突いている。

無くても生活に困らないけど、あった方がより楽しく生きれる。

それは音楽でも映画でも演劇でも色んな作品にあてはめて言えることができる。

無くてもいいのだけれど、それが生きる上の支えになってしまうような。

何か心を揺さぶられるような、そんな素敵な歌に出会いたい夜がある。

だからもしあなたがおっぱい好きで、素敵なおっぱいに出会ったのなら「いい歌に出会えた」なんて言うのも悪くない。

最後になりましたが、その昔、地元の先輩が「おっぱいゲーム」という遊びを教えてくれた。

ルールは簡単。みんなで円になって一人ずつ順番に「おっぱい」と言うこと。
「おっぱい」と言う時に笑ってしまったら負け。

先輩が考えた遊びか、巷で流行っていた遊びかは不明だがちょっとおもしろい。

一度やってみてほしい。

やらなくても生活に困らないけど、やった方がより楽しく生きれる。そんな遊び。


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