私の子育て卒業文集「私は ”母性” を信じない」【#創作大賞2023 #エッセイ部門 応募作品】
「子育てをするなかでバラバラになった自分のピースを、今もう一度拾い集めているんです」
この言葉を聞いたとき、私も同じだ!と思った。
これは、哲学カフェでご一緒した方の発言で、彼女もうちの子どもたちと同じくらいのお子さんたちを育てている同性代の母親だった。
そう、妊娠出産子育てを通して、私も確かに一度バラバラになった。
だから、親になっていく過程で、私はもう一度、私自身を作り直さなければならなかった。
前回の文集で書いた、私が幼少期の私と和解するまでの話も、私自身を作り直す作業だったといえる。でもその作業のなかで、私が立ち向かわなければならなかったのは、チビナツだけではなかった。それがこの文集のタイトルにした「母性」なのだ。気付かないうちに、私は母性神話にめちゃくちゃ振りまわされていた。
だから今回は、自分に「お母さん」や「親」という役割を馴染ませていく過程で、私がどのように母性神話から目を覚まし、私自身を作り直していったのか、という思い出話を書こうと思う。
「私」の作り直しは、何も妊娠出産に限った話ではないだろう。家族や恋人などから、「変わって!」と迫られることだったあるだろうし、自分で「変わらなければ」と感じるときだってあるはずだ。また、所属する組織に合う人材として働くことを余儀なくされるときだってあるだろう。
そういうとき、きっとみんな、多かれ少なかれどこか自分を作り直しているに違いない。それがうまくいけばいいけれど、何かが邪魔してうまくいかないときもある。だから、このエッセイが、妊娠出産子育て以外の場面で悩んでいる方にも届けばいいなと思う。
はじめに
以前、「私は "母性" なんか、これっぽっちも信じてないよ。あんなものは存在しないとすら思ってる」と言って、非常勤先の看護学生をドン引きさせたことがある。学生たちは「母性看護学」など「母性」と名の付く講義を受けているのだから当たり前と言えば当たり前だ。しかも、そんなことを言っているのが、現役の母親でもある講師とくれば、混乱するのもうなずける。
けれど、私はこの発言を通して、学生たちに「母性」という言葉を、もう一度よく考えてもらいたかったのだ。通り一遍の意味だけでなく、この言葉が持つ強大な力までも意識してもらいたかった。なぜなら、母親としての私は、他ならぬこの「母性」に、さんざん苦しめられていたから。
そう、私の場合、「親になる」という「私」の作り直しを何度も邪魔していたのが、この「母性」だったのだ。
「お母さんなのに…」ー妊婦編ー
私は、「お母さん」という新しく増えた役割を自分のものにするまで、かなりの時間がかかった。それは、「お母さん」と言われて多くの人がイメージするような、いわゆるお母さん像みたいなものに、全然うまく乗れなかったことにはじまる。
思い返せば、第1子妊娠のとき、私は「妊婦」を全然楽しめなかった。私の健康や胎児の成長などに不安があったからではない。
にもかかわらず、妊婦な私の身体は、私にとってけっこう恐怖だった。
お腹が大きくなっていくにつれ、自分が何かに変身してしまうような怖さも膨らんでいった。それに、自分の体の中に、自分とは別の人間がいるということ自体が、私にとっては気持ち悪かった。
にもかかわらず、そんな私の気持ちとは関係なく、私の行動ひとつひとつが子どもの命に直接影響してしまう。私が手を離したらこの人が落下してしまう!というような緊迫したシーンが、毎日10か月間ほど続くのだ。
そうこうしていると、「無事に出産しなくては!」という緊張感は、「子どもが無事に生まれてこなかったら私のせいだ!」という、自分を責めるような責任感へと膨れ上がっていった。息苦しいことこの上ない。
でも、まわりを見渡せば、世の中には妊婦な自分を幸せそうに語る人の方が多く、それが当然と言わんばかりのイラストや情報が流れている。
だから、それらを見るたび、そんな流れに乗れない自分はどこかおかしいのではないかといつも不安になった。私は「お母さん」なのに…
妊娠をこんなふうにネガティブに書くと、勘違いされてしまいそうだが、私は決して、妊娠を後悔しているとか、子ども中心の人生になるのがイヤだったとか、そういうことが言いたいのではない。
また、私の妊娠期間が客観的に過酷だったわけでもないし、妊娠中はホルモンバランスが普段とは異なるので、精神的に不安定になりがちだという知識も持っていた。それに、夫をはじめ周囲の協力は十分にあった。環境としては申し分なかったわけだ。
それなのに、私は「幸せな妊婦」というノリに乗れなかった。そして、そういう自分を不安に思っていた。
やっぱり問題は、自分の中にあるのだ。
世間一般の「お母さん」と、それにうまく乗れない自分とのこうしたズレは、出産後、子育てがはじまってから、さらに深刻化していく。
「お母さんなのに…」ー乳児育児編ー
1号が新生児のとき、私の母乳はなかなかうまく出てくれなかった。
母乳育児のメリットばかりを頭に叩き込んでいた私は、母乳が出ないかもしれないという事態を想定していなかった。
だって、「お母さん」になったんだから「母乳」って勝手に出てくるものでしょう?
なのに、全然出ない。母乳の出がよくないから、1号もうまく飲めず、乳首が切れて血が出る。その上、お腹もいっぱいにならないから、1号は寝ないし泣く。激痛の授乳が日に何度も繰り返される。「よし」って気合を入れてから開始し、「痛いぃ」って顔を歪ませながら授乳する。笑顔と幸せに満ち溢れた授乳を想像していた私は早々に打ちのめされた。
また、1号は本当にひとりで寝るのが下手な子で、ほぼ24時間体制で抱っこしていたから、トイレに行くことすらままならない。当時、私たちはアパートに住んでいたので、泣かせると近所迷惑になるし、なにより通報でもされたら立ち直れない。
アパートの駐車場で年配の女性に「かわいい赤ちゃんね。大事にしてあげてね」って声をかけられてゾッとしたのを覚えている。おそらく単なる挨拶だったのだろうけど、当時の私には「お前がいつも泣かしてるのを知ってるぞ!」っていう警告のように聞こえた。
そんな日々を送るなかで、私はすっかり赤ちゃんがかわいいと思えなくなっていた。
「お母さん」なのに「赤ちゃん」がかわいいと思えない。きっと、私は母親失格で、母親なら、女性なら、誰でもできるようなことができない下等な生き物なんだ…と、本気でそう思うようになっていた。
たぶん、産後鬱みたいになっていたのではないかと思う。とはいえ、やっぱり周囲は協力はあったし、様々な不安はありながらも、私は決して客観的に悲惨な環境で子育てをはじめたわけではない。
私を苦しめていたのは、むしろ、たくさんの方から寄せられる励ましと、その励ましにそぐわない自分とのズレだった。
「お母さん」と自己矛盾、そして自己責任
私の中のこうしたズレは、どこから来たのだろう?
私は妊娠、出産を経て、子育てをしている、いわゆる「お母さん」になった。私は「お母さん」というカテゴリーに入ったわけだ。
しかし、このことは、当時の私にとってそんなに単純なことではなかった。
まず、あれほど「個性を大事に」「あなたはあなたよ」と言ってくれていた人たちまでも、当たり前のように私を「お母さん」扱いする。友達や家族、産院の医師や助産師、看護師さんたち、果ては見知らぬ街の人までが、とても喜ばしく幸せな感じで、私を「お母さん」扱いする。
これに、私はきっと違和感を覚えていた。つまり、私の個人的な性格や考えや人生が、すべて「お母さん」という色に塗りつぶされてしまったような気がしていたから。でも、それと同時に、そういう自分の違和感こそ「お母さん」にふさわしくないとも思っていた。
私を苦しめてきたズレは、私を「お母さん」として塗りつぶす周囲に違和感を持ちながら、他ならぬ私自身が私を「お母さん」という色で塗りつぶしてしまわないといけないと誰よりも思っていた、という自己矛盾から生まれたのかもしれない。
だから、自分の現状(妊娠に対するネガティブイメージ、出ない母乳、子どもがかわいいと思えない、など)を、自分でうまく解釈できなくて、鬱になるほど責めていたのだ。
でも、その一方で、そもそも「お母さん」になろうと決めたのは、私自身だ。誰に強制されたわけでもない。それなら、現状のつらさを嘆くのはお門違いだ。私はもっと頑張らなければならない…
こうして、自己矛盾が生んだズレと、自己責任論のはざまで、当時の私は自分の形が保てずにバラバラになっていった。
そんな私に、善意100%の励ましが降り注ぐ。
母性の矢
「子どもができて幸せでしょう」「宝物が増えたね」「こどものためなら母親は何だって耐えられる」「つわりも辛い妊婦生活もお母さんなんだから大丈夫」「女性はそれに耐えられるようにできている」「母は強いから」「母の愛は偉大だから」「女の人には母性があるんだから」…
これらはすべて、私のためを思い、私を励まそうとしてくれた言葉たちだ。
でも、うまく「お母さん」ができていない当時の私にとってこれらの言葉は、どこからともなく飛んできて私に致命傷を与える矢のようだった。
なぜなら、矢じりには「母性」と書かれていたから。
母性は、母、ひいては女性には必ず備わっているものなんでしょう?
だから、今や母であり、女性である私に、この矢は百発百中してしまう。私が母で女性である限り、避けることも、盾を構えることさえできない。
なのに、きっと私にはこれがないんだ。もしも母性があったなら、子どもをかわいいと思えないなんてありえないはずだ。母乳が出ないなんてありえない。私は、女性なのに母性を持たない下等な生物なんだ…。だから、本来なら女性を称え、励ますはずの母性が、私には矢じりとなって突き刺さるんだ…。
「お母さん」というビッグカテゴリーに入れられたことへ違和感を持ちながら、そこにちゃんと入れない自分にショックを受ける自己矛盾。しかし、当時の私は、自己分析が追い付かず、その自己矛盾にすら気が付いていなかった。
だから、私は自分がバラバラになっていることにも気が付いていなかったのだ。知らないうちに私の防御壁は壊れ、母性の矢が生身の私に降り注ぎ続けていた。
では、どうして私は私の現状を把握し損ねていたいたのだろうか。
そのヒントは、私の母性に対する理解にあった。
誤解されたくないので言っておくが、こうした励ましをくれた人たちを責める気持ちは1mmもない。みんなの励ましには助けられることの方が多かった。それに、「母性があるんだから大丈夫」と言われて、持ち直す人の方が多いのではないかと思う。ただ、当時の私にとってはけっこう辛かったというだけの話なのだ。だから、そういう人もいるのか、くらいに思ってもらえたらうれしい。
「母性」って何?
「母性」って、そもそも何なのだろう?
ネットで見れる辞書数冊で軽く調べてみると、2つの使われ方をしていることが分かった。
①母親なら誰しもがもつ本能的なものとしての「母性」
②出産できる機能としての生物学的な意味での「母性」
この2つを分けるのは、「母性」が本能的なものかどうかという点だ。
辞書によっては②のように、母性を本能的としないものもあって驚いた。
でも、当時の私が辞書など引いているわけもなく、私は①②を一緒くたにして、「母性」という言葉を、「出産した女性が本能的に持っている、子どもを守り育てようとする母の愛」みたいな意味で、「愛」を勝手にくっ付けて拡大解釈していたと思う。
「本能的に持っている」ってことは、生まれつき必ず備わっているってことだから、私は母性を無視できなかった。母乳がなかなか出なかったことや、子どもをかわいいと思えないことを、いちいち「母性」と結びつけていたのも、それを本能的なものだと思っていたからだ。
そして、そこへ「愛」を勝手に乗っけたことで、「私には母性がない…だから子どもを愛せない」と、自分を責めていた。
ただ、その背景にあったのは、「このままでは、いいお母さんになれない」という強迫観念だろう。「母」なのに「母の愛」がないなんてどうかしてる…
でも、よく考えて?「母の愛」って本能なの?
「子どもを愛する母の気持ち」って、「ご飯食べたい」とか「トイレ行きたい」とかと同じに、自分の意志ではどうにもならないことなの?
本当に、絶対必須で、「親」とは切り離せないものなの?
「お母さんなのに…」ー弱視診断編ー
結局、母乳はそのうち出るようになったし、1号もだんだん大きくなってきて、「かわいくない」なんて思っていたのが嘘だったかのような日々が訪れていた。
しかし、1号が2歳になる直前、彼女の左目が生まれつき弱視だったことが分かった。その診断を受けたとき、医師の「お母さん」という呼びかけが、ハンマーのように私の頭に振り下ろされた。
「お母さんなのに、何で今まで気付かなかったの!」という怒号が全身に鳴り響いたような気がした。もちろん、そんなこと誰も言っていない。医師は怒っていなかったし、いたって冷静に今後の話をしてくれただけだ。
でも、私はショックで、その場に倒れてしまいそうだった。
何がショックだったのか?
またしても「母親失格!」と言われたような気がしたからだ。
自分が「いいお母さん」ではなかったというショック。
この時のことはよく覚えている。
これから大変なトレーニングが待っているのは1号で、私はそれを助けるために今後の話をちゃんと聞かないといけない。
そのためには、このショック状態は邪魔だ。
私が母親失格かどうかなんて、家に帰ってから1人でゆっくり考えればいい。
今は、1号の弱視治療に関係あることに集中しよう。
こうして、私は母親失格というショックと、親としてすべきことを数秒で切り分けた。
そう、切り分けられたのだ。
ここから、徐々に風向きが変わりはじめた。
1号は1歳11か月から、眼鏡をかけることになった。その上、1日3時間、見える方の目をアイパッチというシールを貼って隠すという、弱視改善のトレーニングもはじまった。
もちろん、本人が一番つらい。とはいえ、よく理解できないチビッコに、ストレスフルなことをさせる方も楽じゃない。それでも、私と1号はよく頑張っていた。もちろん家族も全面協力してくれた。
でも、私たち親子に注がれたのは、好意的な応援ばかりではなかった。
「あんな小さい子が眼鏡だなんてかわいそう」「お母さんがテレビばっかり見せてるから目が悪くなったのね」「近頃の母親はなってない」「こんなシールを子どもの目に貼るなんて」「どうせおもちゃの眼鏡なんでしょ?」「お母さんがダメだと子どもがかわいそう」
他にもあるが、あんまり書くと恨み節みたいになるのでやめておく。
2歳児にメガネをかけさせる私は、またしても母親失格になったのだ。
「一般的なお母さん」と「1号のお母さん」
でも、母乳が出なかったときと、今回は違った。
私は心の中で反論していたのだ。
「弱視は生まれつきだし、事情も知らずによくそんなことが言えたもんだ!それに、この子がかわいそうだって?しんどいトレーニングをこんなにも頑張っているこの子は褒められてしかるべきなんであって、あんたなんかに同情される筋合いはない!」っていう感じに。
でも、どうして街ゆく知らない人たちは、訳知り顔でそんなことを聞こえるように言ってきたのだろう。あの人たちに意地悪をしてる素振りはなく、むしろ、ためになる忠告をしてあげているといった様子だった。
そうなのだ。
これらの忠告が想定しているのは、一般的な子どもと一般的なお母さんなのだ。
一般論なのだから、事情なんて知らなくてもアドバイスできると思うのは自然なことかもしれない。
でも、こういう周囲の反応は、「弱視を改善する」という一般的でないゴールに向けてすすむ私たち親子にとっては、害悪でしかなかった。だから、私は周囲が押し付けてくる一般論から、この子を守らなければならないと強く思うようになった。だって、私は、この子の事情を、この子の頑張りを知っているのだから。
と、このように、「1号という1人の子ども」と「一般的な子ども」は、私の中ではっきりと切り分けられた。そうなると、「私という1人の人間」と「一般的なお母さん」だって、切り分けてよくない?
だって、1号の一般的じゃないニーズにしっかりと応えるためには、私も一般的なお母さんではなく、1号のお母さんになる必要があるのだから。
そう思いはじめると、刺さったままになっていた母性の矢が、ぽろぽろと取れていくような感じがした。
私は、ずっと「いいお母さん」になりたかった。でも、そこで想定されていたのは「1号にとってのいいお母さん」ではなく、「誰もが思い浮かべるような一般的ないいお母さん」だったのだ。私は、妊娠以来、そんなどこか理想的で一般的な、いわば顔のないお母さんに、自分がなれているのかどうかを気にしていたわけだ。
そこでは、私と1号ではなく、一般的なお母さんと一般的な子どもがいるだけだった。
でも、1号の視力を出すために、私がいわゆる「いいお母さん」かどうかなんてまったく関係ないのだ。
重要なのは、1号のお母さんになれているかどうか、だ。私は、一般的なお母さん像を追いかけるあまり、目の前の我が子を置き去りにするところだったのだ。
方向性が定まり、ちゃんとピントが合ってくると、「お母さん」というビッグカテゴリ―に入れられる違和感をもちつつ、そこにちゃんと入れない自分を責めるという自己矛盾と自己責任がバラバラにした「私」が、また集まってくるのを感じた。
つまり、私は私なりに、私に特有なもの(性格、経験、知識など)を総動員して、私なりの1号のお母さんになればいい。そういう方向で、頑張ればいいのだ。
ビッグカテゴリーの中で薄められていた「私」が息をふきかえしてきた。
私には、一般的なお母さんの元になる母性は必要なかったのだ。
私は「母性」を信じない
母親ならみんな持っているという母性は、どうしたって私を一般的なお母さんの方へと導いていく。だから、他のお母さんと同じようにすることが、もっとも重要で、最優先なことになる。お母さん自身の個性は邪魔なだけだ。
こういう話をすると、自分勝手な母親になるとか、我流にこだわっているとかいう反論が聞こえてきそうだけど、もちろん私だって、みんな自分勝手にやればいいと思っているわけじゃない。この世界に生きている以上、世間や周囲の声には(それがどんなものであったとしても)耳を貸すべきだ。
要するに、「母性」や「一般的なお母さん」をはじめとする周囲の声も、私自身の思いも、1号の思いも、全部大事なのだ。
だから、私がしたいのは、自分 v.s. 世間みたいな、0か100かみたいな話じゃない。
重要なのは、自分にとって何が一番大切なのか、という優先順位を自分自身がどこまでしっかり把握しているか、ということだ。
私は、1号のためだけにお母さんがしたいと思いつつ、いつまでも一般的ないいお母さんでありたいと思っていた。そう、私を苦しめていたのは、母性神話に振りまわされて、自分が一般的なお母さんになれているかどうかを最優先事項にもってきてしまった私自身だったのだ。
この自分のなかのねじれ現象に気が付いたなら、それを直すことができる。
母性神話から自由になれるなら、私の優先順位は、①1号、②私自身、③「一般的なお母さん」を求める周囲の声、となるはずだ。だから、そう定め直した。
この優先順位が曖昧だったので、聞く意味のあるアドバイスと、そうでないアドバイスの見分けすら付かず、すべての善意にまんべんなく傷ついていたのだ。
だから、私を惑わせる母性神話に基づいた「母性」を私はもう信じないことにした。
母の愛は本能じゃない
でも、母性神話を信じなくなったとしたら、そこに紐づいた「本能的な母の愛」はどうなるのだろう?
っていうか、そもそも私が1号を思う気持ちは本能的なものなのだろうか?
もしも「母性」や「母の愛」が本能なら、それらは私に生まれつき備わっているはずで、だからこそ、私はそれらを切り離してしまうことはできないということになるだろう。
でも、1号の弱視トレーニングにあたり、私とって母性はむしろ邪魔だった。だから、私は母性をいったん切り離し、彼女とのトレーニングをやり遂げた(年長のとき1号は弱視を克服した)。
母の愛が本能なら、私のこのサポートはとても当たり前なことになるだろう。だって、本能がサポートさせたんだから。
でもね、私は自分のお母さんとしての努力を「本能」という言葉で説明されることに腹が立つ。
なぜなら、私たちは他ならぬ自分たちの意志で「やり遂げる」と決意し続けてきたからだ。途中でやめることだってできたのに。
だから、決意し続けることを、本能だと言われるのは、私にとって心外なのだ。
もっと言うなら、親はいつだって「親をやめる」ということが現実的に選択可能だ。これは戸籍上の問題だけではない。例えば、虐待する親はその代表格だ。また、たとえ虐待とまでは言えないとしても、アメリカではぺリコプターペアレントと呼ばれるような管理的な親の支配によって、子どもの人生を奪うような人たちもいるし、日本では毒親と言われるような人たちも、私からすれば「親をやめた」人たちに見える。
でも、私はそれを選択しない。選択しないために、私は幼い頃の自分と和解したのだから。だから、どんな苦労や困難があったとしても、子どもの人生と自分の人生を切り分け、子どもの人生を尊重するために、私は「親である」と決意し続けている。
もちろん、そこには底知れぬ愛があるが、この愛を「母の愛」と一般化されたくない。それは、1号と2号にだけ注がれる、私の、私だけの愛だから。
そんな私の人知れぬ決意を「母性をもつ母親なら誰だってできる」と言う方が失礼じゃないだろうか?
「母性」がなければ「一般的な母親」にはなれないかもしれないが、それでも「親」にはなれる。つまり、「母性」がなくても子どもを守り育てていくことはできるのだ。「親」にとって重要なのは、本能ではなく、「親である」と何度もくり返し決意し続ける意志だから。
だから、私を、私の愛を「母の愛」として一般化する本能的な母性を、私は信じないと言ったのだ。
「私」を新しく作り直す
妊娠・出産・子育ては、自分の中にいつの間にか取り込んでしまった自分以外の声に、いかに私が振り回されていたかということに気付かせてくれた。
気が付いた今でも、母性の矢はときどき命中するし、「いいお母さん」の呪いは完全に解けたわけではない。幼稚園、小学校、中学校と、ますますお母さん扱いされるばかりだ。
それでも、それで自分がバラバラになることはなくなった。
自己責任論とかそういう文脈ではなくて、私は今もなお「親である」と決意し続けているから。お母さんとして一般化されるためには邪魔だった個人としての私は、親であるためには両立可能どころか必要不可欠だと分かったからだ。
だって、おかしな話でしょう?
「子どもの個性を伸ばそう」という言いながら「お母さんに個性はいらない」と言うなんて。お母さんだって個性を大事にされた子どもだったんだから、お母さんになったとたん「今までのはナシ」なんてひどい。お母さんだっ自分の個性を発揮すればいいのだ。私は、この子たちにとって、「世界に1人きりのお母さん」なのだから。
こうして、母性神話に基づくお母さん像に耳を傾けながらも、それに流されすぎないように「親」という錨をしっかり降ろした今のスタンスが出来上がった。
いろいろな意見を参考にしつつ、自分の子どもたちにとってベストな「お母さん」を自分なりに模索し続ければいいのだ。
こうして、「お母さん」「親」という役割は、新しい「私」の一部として馴染んでいった。それからは、ずいぶんと楽しくお母さんできるようになっている。
そのおかげで、2号を産んだ後は産後鬱にはならなかった。
1号との日々が、私を「親」にしてくれたし、母性神話から目を覚まさせてくれた。だから、やっぱり私にとって、「親」になるために必要だったのは、母性でも本能でもなく、目の前の1号2号との日々だったのだ。そして、そんな日々に支えられた子どもたちへの愛は、「母の愛」ではなく「私の愛」だ。
「お母さん」にバラバラにされながら、「この子たちのお母さん」として新しく作り直された「私」は、お役御免になる日まで「親である」と決意し続けるよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?