お母さんへ1



お母さん、元気ですか?
私は3歳でお母さんと離れてから、言葉では表現できないくらい辛くて悲しい思いをしました。
夜は、1人の布団の中でたくさん泣きました。

小学校低学年の時から、死にたいと思っていました。
でも子どもだったから自分で死ぬのは怖くて、

誰か私を殺してくれないかな?
交通事故にあって死なないかな?
サスペンスドラマを観て、1粒で楽に痛くなく死ねる薬があったらすぐに飲むのにな。
などといつも考えていました。



なんで私をおいて逝ってしまったの?
私は生きている意味があるの?
私が死んだって誰もたいして悲しまないのに、なぜ生きているの?
そればかり考えていました。



お父さんとお母さんと1人娘の私3人で暮らしていたのに、
優しいお母さんが死んでしまって
お父さんは私の話を否定するばっかりで、聞いてくれない
私が大切にしていた物も、何も言わず勝手に捨てられる。
疲れていたり、機嫌が悪いと頬をぶたれる。

小学3年生くらいの女の子が、
家という密室で、身長180センチ以上ある大人の男の人に顔を叩かれる恐怖が
どれだけのものか分かりますか?

痛くて、怖くて、悲しくて泣いても、誰も慰めてくれる人も
庇ってくれる人もいない。

「否定されてぶたれるだけの私は、なぜ生きているんだろう?」
とずっと思っていました。

お父さんには、
人前でけなされ、話しかけてもすべて否定され
いじめにあって悲しくて辛くてお父さんに話した時も、何もしてくれなかった。
その時から、私はお父さんと話すことをやめました。
必要最低限の会話しかしなくなりました。
お父さんに期待することもやめました。
期待しても自分が傷つくだけだから。


お父さんはいつも人の批判ばかり。
特に女性への批判がすごかったんだよ。
お母さんに生活費を渡さないくらいだから、女性を下に見ていることは分かっていたけど
ニヤニヤしながら
「結婚してた時生活費なんて渡さなかった。」
と言っていた時は、やっぱりこういう人なんだと思いました。
一緒に生活していれば、別に驚きもしなかったよ。


お父さんは自分が一番大事な人だから。
結婚だって40歳近くまで独身でいて、結婚するのが当たり前の時代だったからお見合いで結婚しただけで、家族を大切にして養う覚悟なんてなかったんだよね。

お母さんが体調悪くて吐いていた時も、病院に連れて行ってもらえず
そんなお母さんが可哀想で仕方ありません。
病院へ連れて行って欲しいと言っても連れて行かないお父さん。
なぜお母さんはそんな人と結婚してしまったんだろうと、よく考えました。


お母さんは、高校卒業後実家の商店の手伝いをしていて
きっと社会経験が少なかったんだと思います。
昔は家事手伝いから結婚する人もきっと多かったよね。
お母さんは実家が裕福だったし、無理に働く必要もなかったから。
お父さんお母さん(私の祖父母)に恵まれて、仲の良い姉兄にも恵まれて
金銭的にも恵まれてきたから、まさか生活費を渡さないような夫がこの世にいるなんて、想像もつかなかったんじゃないかと私は思っています。

そして優しいお母さんは、夫に文句も言わず喧嘩もせず、お姉さんたちに援助してもらい結婚生活を続けていたんだよね。
本当に、辛い結婚生活だったと思います。

そして私が3歳の時に病気が見つかり、入院してそのまま亡くなってしまった。
離婚を考えている矢先だったのに…


お母さんが病気になったのは、ヘビースモーカーのお父さんからの受動喫煙や、
結婚生活のストレスからかもしれないね。

そして、体調が悪くて吐いている妻を見ても、病院へ連れていかなかった父。
他県からお嫁さんに来て、3歳の娘がいて近くに頼れる家族親類もいないのに、
車で5分しかかからない病院へ連れて行かない夫がいることには驚きます。

もしかしたら、お母さんはお父さんに殺されたのかもしれない。
もし、お母さんに定期検診を受けさせるような優しい夫だったら。
体調が悪くなった時、すぐ病院へ連れて行く夫だったら。
お母さんはあんなに早く死ななくてすんだかもしれない。



お母さんが死んで、私の人生は180度変わってしまいました。
お母さんが生きていた時は、おしゃべり好きで活発な子どもでした。
お母さんが亡くなってからは、言葉を発することもなくなり、いつも死ぬことを考える子どもになってしまいました。

いつも死にたい、お母さんの所へ行きたいと思っていたけど、お母さんが私のために一生懸命病気と闘ってくれた。
お母さんがくれたこの大切な命を自分で無くしていいのか?
それを考えたら、どうしても死を選ぶことができなかったんだよ。


私が死んだら、お母さんだって悲しむでしょう?
私は、死んで早くこの苦しみから逃げたいと思っていたけど、
お母さんを悲しませたくはなかった。
お母さんが大切に育ててくれた私という人間を、自分の手で無くすことは、どうしてもできなかった。



お母さんが亡くなって45年近く経つけど、お母さんともっと一緒にいたかった
って、今でも思います。
お母さんがどういう育ち方をしたのかとか、どういう価値観を持っていたかとか
たくさんいろいろな話をしたかった。
料理も教わりたかったし、ピアノも教わりたかった。
裁縫は苦手だけど、ミシンで何が作れるのかお母さんに教わりたかった。
そして、お店をやっていたお母さんに商売とはどういうものかということも聞いてみたかった。

数十年間校長先生をしていた、私のひいおじいちゃんのことも聞いてみたかった。
お母さんは、両親(私の祖父母)にどういう風に育てられたのかも聞いてみたかった。
私のおじいちゃんとおばあちゃんは、どんな人だったのかも聞いてみたかった。

お母さんの声も話し方も記憶にない私は、お母さんにあと少しでも生きていてほしかった。
私はお母さんがどんな話し方をするのか、どんな雰囲気を醸しだしているのかも分からない。
せめてお母さんの声やぬくもりを覚えていたかった。

でも私が分かるのは、お母さんは私をかわいがり、大切に愛情をもって育ててくれたことくらい。


お母さんともっと話したかった。
お母さんと笑い合いたかった。
お母さんとたくさん思い出を作りたかった。
でも私には叶わない夢だった。


子どもの頃は、お母さんじゃなくてお父さんが代わりに死ねばよかったのにと思っていました。
優しくて大好きなお母さんがいないのに、いつも人の否定ばかりして私の話を聞かないお父さんがいても…
いないよりはいいんだろうけど、複雑だった。

まわりの人たちは、「お父さん1人で大変だね。頑張ってるね。」と言うけど、
そんなにいいもんじゃないと思っていた。
そんなきれいごとじゃない。
気分次第でいきなりビンタされる身にもなってほしい。

歯医者も病院も連れて行ってもらったことはないし、
お母さんが亡くなってからは、予防接種もしていない。

小学校に入った時から家に1人で留守番させられて、
3年生からは、一晩中1人で過ごした。
夜が怖くて、「お父さん!」と叫んでも誰も助けてくれない。
だから私は、何があっても人に助けを求めることをしないと学んだ。
期待するだけ無駄だから。
ある意味強くなったよね。


お母さんはそんな私を、どんな風に見ていたのかな。


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