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大人になると泣かないと思っていた

小学生時代の私はよく泣いていた。ひどい時は2日に1回ペースで泣いていた。クラスメイトにからかわれたり、勉強が分からなかったり、ピアノを上手く弾けなかったり、転んでケガをしたり…今思えば些細なことばかりだ。しかし、当時はそんな些細なことに感情が揺さぶられ、涙を流していた。まぁ、小学生なんてそんなものなんだろう。


小学生の低学年の時に、私はあることに気づいたのだ。自分や同世代は泣いているのに、大人が泣いているのを見たことがない、と。

そりゃ、テレビドラマで泣いている大人を見たことはある。しかし、それはドラマの中だから、現実ではないのだから、実際の大人は泣かないのだろう、と訳のわからない解釈をしていた。


20年前の私は、泣くことは恥ずかしいと思っていた。嗚咽がこみ上げで上手く話せないし、口を閉じても「ヒック、ヒック」と口から漏れてしまうし、周りから「大丈夫?」と心配されて気を使わせてしまっていたからだ。
(ちなみに私はよく、他人はいいけど自分はダメと考えるフシがある。だから他人が泣いていても別に恥ずかしい人やなと思はないが、自分が泣くのは恥ずかしいと思っていた)


(大人になると泣かんくなるんかな。今は泣いてばっかやけど、大人になったらそんなことなくなるんかな。)
そんなことを考えていた。

しかし、その仮説は当然正しくなかった。
小学3年生の時、私は初めて大人が泣いているのを見た。祖母(父の母)の葬式でだ。僧侶の読経中に伯母が嗚咽を漏らして泣いていたのだ。私と泣き方が同じだった。

(大人でも泣くんや)
その姿を見て恥ずかしいな、とは思わなかったし、仮説が外れたことにがっかりすることもなかった。
悲しいから泣く。それは年齢が関係ないんだと気づいた。それだけだ。

そして、だんだんと歳を重ねるにつれて、大人が涙を流すのを見る場面も出てきた。


そもそも子ども時代は、同世代との関わりが圧倒的に多かった。大人は親か教師、たまに習い事の先生や近所の人くらいしか関わりがなかった。そりゃ、大人が泣いているのを見ない訳だ。もし泣くことがあっても、私たちに涙を見せないように隠れて泣いていたのかもしれない。

20歳を超えて現在、29歳になった。私は今でも泣くことがある。さすがに嗚咽を漏らすことは減ったが。仕事中に自分の不甲斐なさに涙が出ることもある。そして、20代半ばになると音楽を聴いたり、ドラマや映画やドキュメンタリーを観て泣くことも増えた。
昔からそうだが悔しくて泣くことは多い。しかし、歳を重ねると音楽の歌詞に自分を重ねたり、ドラマや映画の登場人物の心情を考えたりすることで、こみ上げてくるものがあって涙が流れるのだ。涙は悔しい以外の感情でも出るのだ。これは大人になって身をもって感じた。


しかし、さすがにこの歳で人前で泣くのは恥ずかしい気持ちはある。と言っても去年、上司の前で嗚咽を漏らして泣いてしまったが。まあ、人間だから涙も出るわと開き直ることにした。

ネットで大人になって仕事中や人前で泣くのはプロとして失格、恥ずかしいと書いてあるのを見たことがある。そんな風に考える人ももちろんいらっしゃるのは分かる。しかし、私は、涙は流れたら仕方ないやん!と思う。だから、私の前では涙を流しても全く恥ずかしいと思わなくていいし、言葉に詰まっても構わないとここに宣言しておく。

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