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そろそろ、わたしを丁寧に扱ってみようかな

いつも、仕事に入る前に、手に取る一冊の本がある。

城ノ石ゆかり先生の

そろそろ『わたし』でいきていく

である。

仕事場の窓を開けて、深く椅子に座り、ふ〜っと息を吐く。窓の外から聞こえる波音に、からだの力が連れ去られるころ「今日のわたしに必要なことを教えてください」と心の中で唱えると、わたしの無意識が必要なページを選んでくれる。

今日開かれたページは

「女性らしいファッションやメイクに抵抗感がある」だった。。。

そうそう。。。そうなのよね。。。

今日も、パパッと選んだ動きやすい服装に、ファンデーションもせずに出かけてきたばかりだった。

本にも書いてある通り、わたしは母親との関係が原因で、女性らしくあってはならないという勝手な思い込みが出来上がっていた。父親が大好きだったこともあり、わたしが男だったらもっと父親とキャッチボールできたのになと思っていた。

母は、小さな田舎町ではちょっとした「美人」と言われる部類の人だった。母といえば、お風呂から上がると、いつもフリフリのネグリジェーに着替え、ブランドの香水をふって、入念にスキンケアをしている姿を思い出す。「お母さん美人よね〜」「お母さん、綺麗ね!」といわれると、子供ながらにとても嬉しい気持ちになるが、「あなたは全然似てないのね!」と言われると、母が褒められる以上に、心底よかったと思っていた。あんな冷たい人にはなりたくないと思っていたからだ。

美人と冷たい性格は別のものなのに、美人は冷たいという方程式を勝手に作っていたのだ。

そんなわたしが、仕事柄、美容に詳しい人に頻繁に出会うようになり、美しい人は必ずしも冷たいわけではなく、かっこよかったり優しかったり、こんな女性になれたらいいなと思うような美人にたくさん出会うことができた。

まだまだ、わたしが美しさを習慣化するまでには時間がかかるが、気持ちの上で「美しい人」に対する抵抗感は少なくなったように感じる。

そんなことを、ふっと思いつつ、そろそろ、わたしが「わたし」自身を、丁寧に扱って生きていこうと感じた新月の夜だった。


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