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小説について

最近転職した鏡水たまりです。
初めての方に簡単に自己紹介を

2018年ごろから本格的に小説を書いています。
主にファンタジーを中心に書いています。
活動はネット投稿サイト、同人即売会など。


転職した際に小説を書いていることは職場に話したのですが、その関係でプレスリリースを担当させていただいています(わーい!)。
ですが、「どんなジャンルを書いているの?」と聞かれて、「ファンタジーです」と答えると多少のがっかり感を感じます。
そこから考えたことを記事にしたいと思います。

なぜファンタジー小説を書いていると聞いてがっかりされたと感じたのか

仮説1:ファンタジーと馴染みがなかった

上記の会話の続きで「ファンタジーってどんな感じの?」「例えば?」
というような質問が次にきました。
ということは、相手はファンタジーと言われて具体的なイメージが浮かばなかったのではないかと考えました。
わからない、馴染みのないものを話題に出されると少し詰まりますよね。そういうことなのかな?
それに対する私の答えも曖昧なものになってしまい(この理由は後で話します)余計に微妙な雰囲気になって会話は終わってしまいました。
確かに、普段の生活をしているとファンタジーに触れる機会は少ないのかも……アニメにも馴染みがない人は余計にファンタジーに触れることは少ないでしょう。

ミステリーは謎と事件があります。明確です。謎を読者に謎のまま提供して解決の伏線を張る。うん。わかりやすくて、いかにも難しそうです。
(自分がミステリ書けないからすぐミステリを比較に出す)
恋愛なんかも想像しやすいですよね。
もちろん、ファンタジー以外にもSFなど想像しにくいジャンルはあると思いますが、今回はファンタジーに焦点をあてて話を進めさせていただきました。

仮説2:ファンタジー=ライトノベル?

ライトノベルといえば、なろうを中心とした小説投稿サイトから書籍化されていることや、新しいジャンル、表紙がマンガ絵なことなど、さまざまな要因があって一般文芸より一部の人からは「ライト」に見られているような気がします。

ライトノベルといっても、その内容は千差万別で、一般文芸に近いものもあります。もはや何がライトノベルなのか分類自体が私には曖昧ですが(´・ω・`)
そして、別に統計をとったわけではないので私の思い込みかもしれませんが、ファンタジーのイメージとしてライトノベルが先行した場合、「ライト」な印象、つまりがっかりにつがなる可能性はなきにしもあらずだと思います。

事実1:自作ファンタジーを例えるのは難しい

私は、「どんな小説を書いているのか?」と聞かれたときに「例えば〜です」とピッタリ当てはまるような作品はありません。
というか、ほとんどの方はないでしょう。(と、思ってる)
かの、有名なハリーポッターを例にとれば、
「魔法」×「学園」を書いていればハリーポッターを例にあげることができるでしょう。
でも、ピンポイントでそこに当てはまる人は少ないでしょう。
そもそも、万人が知るようなファンタジー作品は少ないです。
ロードオブザリングでも知らない人もいるでしょう。

なので、「どんなファンタジーを描いているの?」というのは、意外と難しい質問なのです。

事実2:私の書くファンタジー

私の書くファンタジーは曖昧です。日常の不思議の延長上のファンタジーから、魔法が飛び交うもの。統一性がないのです。もちろん、統一性がないのは作品の幅があるという意味ではいいのですが……

そこで、改めて自分の作品を自己分析してみました。
その結果、『私が書きたいのは登場人物の心情だった』のです。

心情ならファンタジーでなくてもいいのではないかと思われるでしょう。そこについて再度、自問自答してみました。
そこで分かったことは、私はファンタジーの力で現代のその問題について興味のない人にも手に取ってもらいたいということです。
普段、日常生活では興味を持たない問題に、物語の力で光を当てる。

私は伊藤計劃さんの作品が好きなのですが、彼の作品を読んでいると物語は思考実験の場なのではないかと思うようになりました。

現代の理論に囚われることのないファンタジーの世界で、現代問題をどのように扱うのか。人外でもそこに言葉があってコミュニケーションが生まれるのなら同じような問題が出てくるはず。はたまた、ファンタジーなりの解決方法があったり。
それを物語の力を借りて自分の言葉で伝える。

それが私がしたいことのうちの一つなんじゃないかなと思いました。

鏡水たまりは語らない

私は、基本的に自作の解説をしない作者です。ここまで長々と自作について語っときながらなんじゃそりゃと思われるかもしれませんが、今後私が「どんな作品を書いているの?」と聞かれても「ファンタジーに現代問題を取り入れた思考実験をしています」なんて言わないです。

それは、作者の思いと読者の思いは違うから。作者が作品を「こうだ」と断定してしまうのは、その作品の可能性の芽を潰してしまうように思うのです。
ここまで読んでいただいたのに、こんな結論で申し訳ないです……

鏡水たまりは語りませんが、今後も作品に自分なりの思いを密かに込めていきます。

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