『変身』カフカ・フランツ【読書感想文】

「あいつがわれわれのことをわかってくれたら」

あらすじ

 ある日、主人公のグレゴールが目を覚ますと毒虫になっていた。毒虫になったことで、寝台からも起き上がれず、家族からも家族も徐々に見放されてしまう。確かに人間だったグレゴールもだんだんと自分が「自分」であることを見失っていくーー。

感想

 素晴らしい小説というのは、読者には想像もつかないような心理描写が数多くありますね。この小説もその例に漏れず、思いもつかない心理描写に溢れています。 当たり前ですが、誰しも毒虫になったことはないのです。(本質はそこではありませんし、別に毒虫でなくても良かったのだと思います…)いわゆる「毒虫」になったという比喩的な存在として。それを文章に昇華する頭脳。素晴らしい…。 ストーリーはシンプルです。けれど、やはり作者のカフカ氏がどうやってこの物語を生み出したのか、考えてしまいます。 「毒虫」になった人間。つまり、客観的な自己像が、他者視点から全く変わってしまったら。たとえ、家族であろうが虐げられてしまうだろうと。

 自分という存在は果たして、主観で保てるのであろうか?カフカ氏は、その「自己のアイデンティティとは」を「毒虫」を用いて問いかけています。 結論的に思ったことは、「自己」は「他者(社会)」の存在が大きく影響しているということ。ですね。 それゆえ、他者の関係性が自己を作り上げているのだという意を。「変身」という言葉を用いて表現してある小説でした。

与太話

「もしかしたら自分も毒虫かも」なんてことを想像しちゃいました。 人間関係の中で、いくら毒虫が取り繕ってもいずれ小説の中のような結末を迎えるのだろうな、と。

小説は非現実です。フィクション(ノンフィクションもありますが)です。
現実は現実です。当たり前ですよね。
それが真実です。
なのでリアルは、どこまでいってもただそこに存在するだけです。
リアルでも「自分が毒虫」だとすれば、それは間違いなく現実なのです。

現実は厳しい。

他者(社会)から、「あなたは毒虫だ」と認識されてしまったら
あなたは「違う!」と訴えたとしても、現実、あなたは毒虫になってしまいます。そうなった時、あなたは本当に「自分は毒虫ではない」と自己を保てますか?

所詮、他人を通してでしか「自分」を認識することはできないのです。

そうでないと、自己は空洞化してしまいます。

人と人とのつながりが希薄して、空っぽの人が増えた結果、今の現代社会になってしまったのかもしれません。

自分自身はしがない一市民でうまく表現できないのですが。

きっと、それは「小説」が「物語」という構造を用いて
今、自分が書いたこ稚拙な文章の代弁をしてくれるはずです。



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