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エモーショナル・キャット

20時半、新宿駅東口。
映画を見にきただけなのに、なんだか夜遊びしているようでそわそわどきどきしてしまって、駅のトイレで口紅を塗り直した。
わたしが去年の夏ごろ、好きな男を思い出しながら選んだオレンジ色の口紅。今日はひとりで、自分のためだけに塗る。

ひさしぶりの映画だ。

五條なつきさんの記事
「超贅沢な「ひとり映画鑑賞」を体験してみたら…シャンパンとゴディバと高級家具カッシーナが待っていた!!」
を読んでピカデリーのプラチナシートについてしらべたところ、たまたま前から観たかったCATSを今日上映していたので(プラチナシートはスクリーン1にしかない)、よし、これはもう今日行くしかない……と、決めてすぐにチケットを取った。
記事についてツイートしたのが11:44、チケットの購入完了メールが12:06だったので、15分で決めたらしい。

プラチナシートは、開演1時間前からラウンジを利用できる。今日はウェルカムドリンクでシャンパンが出てくるようなラグジュアリーな空間になんとも不釣り合いな格好をしていたので、いったん帰宅して着替えることにした。結局いつものような格好(でも、いちばんお気に入りの服を着た)になってしまったけれど、先述のとおり口紅を濃いめに塗りなおして、新宿のまちに降り立った。

7、8年ほど前、わたしが女子大生をしていた頃の話をしたい。
2年生の夏、何度か音響スタッフとして手伝いをしていたミュージカル研究会で、演者として舞台に立つことを決めた。
舞台経験も歌もダンスの経験もなかったけれど、同級生の女の子にあこがれてのことだった。
そのはじめての演目が、CATSだった。

映画でオーバーチュア(オープニング的な曲)がかかると、なつかしさで涙が止まらなかった。英語の歌詞と字幕で見たけれど、脳内では劇団四季のあの歌詞が同時再生でながれていた。歌割りまで、鮮明におぼえていた。メイクが猫っぽくない、人の顔だとか、品がないとか、そんな酷評も見たけれど、身勝手な思い出補正でそんなことは微塵も気にならなかった。

わたしにとって特別な存在のミストフェリーズはやたらヘタレなイギリス男みたいに描かれていて、でもそれも可愛らしくてミストのことがますますだいすきになってしまったし、だいすきなマンゴジェリーとランプルティーザの場面は舞台ではできない映画らしい演出で最高だった。ラムタムタガーは期待通りやんちゃでセクシー、マキャヴィティはそれを超える「悪役のセクシーさ」がたまらなく良くて、ボンバルリーナとの絡みにきゅんきゅんした。スキンブルシャンクスはなつかしさでずっと泣いていた、わたしは昔から楽しい曲でわんわん泣いてしまう。
青い目きらりかがやけば、シグナルは青……

学生時代、歌もダンスも下手くそで根性も体力もなくて、たまに演技を褒めてもらえることはあったけれど、良いところなんて何もなかった。良い思い出です、と言いたいけれど、曲やセリフ以外当時のことはもうぼんやりとしか覚えていないし、当時のメンバーとは2人をのぞいて一切連絡をとっていない。
兼部で所属していた箏曲部を半端なタイミングでやめて、だからといってミュージカルの方も目に見えて上手になることも飛び抜けて良い役につけることもなく、同期や慕ってくれる後輩となんとなく仲良くして、大学の単位もそこそこで卒業した。
新卒で入った呉服屋は、2年ほどで辞めてしまった。そのあとに入った広告系の会社も外回りの営業で体調を崩してすぐに辞めた。まわりが立派な会社で働いたりやりたいことをしているなかで、ふらふらとなあなあに生きている自分が恥ずかしくて、FaceBookとTwitterを退会したのをきっかけに、一切の連絡をとるのをやめた。誰にも会いたくなかった。恥ずかしい自分を、だれにも見られたくなかった。

ともだちが少ないんです、とわたしは自虐的によく言うけれど、きっとこのせいだ。
わたしは生きていて恥ずかしいことばかりだから、コミュニティがひとつ終わったらわたしは1、2名の特別なひとたちをのぞいて関係をすっぱりと断ってしまう。そしてわたしのことも、存在ごと忘れてしまっていてほしかった。

それでもCATSを観てなつかしさにわんわん泣いてしまったのは、やっぱり楽しかったことを覚えているからなのか、作品自体のポテンシャルのせいか、わからないけれど、相当に美化されていても、あのころをなつかしいと思って涙が出たことはすこしだけ、嬉しくもあった。

Memory
あおぎ見て月を
思い出をたどり 歩いてゆけば
出逢えるわ 幸せの姿に
新しい命に
.                            
Memory
月明かりの中
美しく去った 過ぎし日を思う
忘れない その幸せの日々
思い出よ 還れ
.
街の灯は 消え去り
夜の終わりが
古き日は去り行きつつ
夜明けが近づく
.
Daylight
夜明けとともに
新たな命を 日はもう昇る
この夜を思い出に渡して
明日に向かうの
.
木洩れ陽は輝き
光があふれる
花のように朝が開く
思い出は去る
.
お願い 私にさわって
私を抱いて 光とともに
わかるわ 幸せの姿が
ほら見て 明日が

現実はこんなに美しいものではないけれど、わたしがどんなにひとの記憶から消えてしまいたいと思っても、わたしのなかでどんなに過去を消してしまいたくても、たしかに幸せだったこと、たしかに愛していた友人たちや過去のことを、自分で汚したり塗りつぶしたりするのはやめよう。
代表曲である「メモリー」の歌詞(四季ver.)と原曲歌詞の和訳をあらためて読んで、ぼんやりとそんなことを考えた。
そして今日もわたしは歩きながら、涙を垂れながしている。