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大都会、ナカメグロ

いつだったか、中目黒の光明泉にいったときのことを、ずっと日記に書こうと思いながら書けずにいた。

たしかあの時は、自由が丘で仕事があるという男との待ち合わせのために、中目黒でサウナに入ったんだった。(たしか、中目黒と自由が丘は隣駅)好きな男に会う前にはなるべくサウナに入っておきたい。なにがあってもなくても安心。

とはいっても中目黒は、どうにもチャラついた細身で丈が短いスーツのおとこや白くて細くてふわふわしたおんなのイメージがあるので、本当ならあまり寄り付きたくなかった。偏見。わたしは東京の「あちら側」がどうにも好きになれない、西側ゆえのコンプレックスか。言えばいうほどみじめになるので、もう言わない。

あのあたりはちょうどいいアクセスの銭湯やサウナが少なく、もっと探すなり足を伸ばすなりしたらあるのだろうけど、とにかく時間があまりないやら土地勘もないやらで、結局、光明泉に行くことにした。名前だけは聞いたことがあって、どうなの?と聞くとだいたい「いつも混んでるよ。」というのが最初に出てくる銭湯。そう言われるとつい避けたくはなるけれど、わたしはことサウナに関しては、混雑がたいしたストレスにならないことを知っている。

しかし、駅のホームの騒々しさにも、なかなか変わらない信号にも、目の前をちんたらと歩いて道を塞ぐ男女の歩みの遅さにも、いちいち苛立つのは中目黒だからか。ここでも邪魔をする、東側への偏見。
ようやく静かな通りに入り、グーグルマップをたよりに暗い道を歩き進めると、あった、あった。オレンジの看板。階段をのぼり、初めて来ましたよ、なんてバレないようにすました顔で支払いをすませ、するりと女湯ののれんをくぐる。そうそう、この「すました顔」が肝心なのだ。おのぼりさんだなんて、バレたくない。

浴室は、想像していたよりコンパクトにまとまっていて安心する。デザイナーズ銭湯と聞くとどうしても身構えてしまうけれど、どこも、入ってみれば洗練された……「シュッとした」なかに残る、どこかなつかしい空気にほっとするものだ。

狭いサウナ室はさすが満員御礼、どこかの出版社につとめているらしい女の子ふたり組の、会社への不満やら同僚の不倫やらの話をBGMに、初めてはいるサウナ室を堪能する。きゅっと小さくなって座るサウナ室も、ふたり入ればもう満員の小さな水風呂もすっかり大好きになってしまった。

休憩がてら炭酸泉でぼんやりしていると、ふと洗い場に並んで座る親子が目に入る。
小学校の2年生か3年生くらいだろうか、幼くてもわかる整った顔立ちに、ああ東京の子供ってかんじだな……とここでもまた偏見が発動する。からだを洗いながら、明るいはきはきとした話し方をする女の子。きっと学校でも人気者なんだろう。腰まではあるだろう長い黒髪をていねいに自分で洗い上げていく様子に、おもわず見惚れてしまう。

髪の長い女の子にあこがれていた。
わたしはうまれつきひどい癖毛で、伸ばしても切ってもいうことを聞かない髪の毛が大嫌いだった。髪を結わくのも乾かすのも大嫌いで、親戚のおねえさんの真似をして思い切り短くしたときはまるでくるくるのいぬみたいになってしまって、毎日かなしかった。癖毛と、幼い頃から目が悪くてかけていた眼鏡のせいで、同級生にはずいぶんからかわれたものだ。
まっすぐでさらさらできれいな髪の毛にあこがれていた。
中学にあがってすぐ、縮毛矯正をかけた。どうにもこうにもおしゃれのセンスが皆無だったので、あの頃の写真だって見られたものではないけれど、矯正をかけてまっすぐになった髪の毛が好きだった。でも、すぐに根元がのびてきてくるくると汚くなるから、やっぱり自分の髪の毛は嫌いだった。

なんとなく、そんなことを思い出しながら、髪の毛を乾かしていると、ちょうど隣に女の子が腰掛ける。慣れた手つきで小銭を入れて、おとなが使うような立派なブラシで髪をとかしながら、長い黒髪を丁寧に乾かしていく。ずいぶん、しっかりしたお子様だ。
女の子のおかあさんは、脱衣所の椅子にかわいらしく腰掛けて、紙パックのジュースをくわえていた。くるぶしまである真っ黒なワンピースを着て、まるで少女のような「おかあさん」だった。短く切りそろえられた髪は、乾かしたのか、そのままなのか、どちらにしても様になる。女の子の髪が長いので、おかあさんの髪は短いのか、たんなる趣味か、それとも実用か、そんなことはどうでもいい。
あまりじろじろ見ても失礼なので、なんとなく気配で見ていただけだけど、そのふたりの様子は、絵画か映画か、そんなような物語の世界のようだった。

髪を乾かし終えたらしい女の子は、きっと近所に住んでいるのだろう、もうすぐにでも布団に入れそうなかわいらしい、子どもらしいパジャマを着て、このあと何味のジュースにするかを話しながら脱衣所を出て行ったのだった。

ああ、これが中目黒。ナカメグロなんだな。

乾かしたあとのぱさついた髪の毛をぎゅっと縛る。このあとの用事のために、かるく化粧をする。鏡を見ても、どうにもわたしは「ナカメグロ」にはなれなくて、ため息。仕方ない。佐賀の田舎に生まれ、兄のおさがりの洋服を着て、山奥の高校の寮に収容され、東京に出てきたはいいものの10年経ってもいまだ垢抜けず芋くさい女、もう30歳になる。

またいつか、すました顔で訪れよう。大都会、ナカメグロ。今度はもっと、気合を入れて訪れよう。いや別に、あこがれてなんてないですけどね。