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石は生きとる話


超ド級の田舎で生まれ育った。


駅がない。スーパーやドラッグストア、公園、病院もない。
喫茶店って自動販売機のことだと思っていた。

コンビニの存在は確か小学校高学年くらいの時に知った。
20時には閉まる。そして家からはすごく遠い。
その上聞いたことのない名前のコンビニだった。
(果たしてあれはコンビニだったのか・・・?)


ないものを数えるより、あるものを数えたほうが早いのではないかと思うくらい自然豊かなところで育った。

小学生の頃は虫とりをするか、川で水切りをして遊ぶか
公園がないから道路でキャッチボールもしていた(車はたまに通るくらい)

近所には牛がいたし、
同級生の中にはペットとして馬を飼っている子もいた。

一度テレビで闘牛の映像をみてから、
「牛って赤いものをみると興奮するんだ!おもしろい!」と思い
近所で飼われていた牛に赤いランドセルを見せて興奮させようとしていた。

「うし〜、こいや~!」と目の前でランドセルをチラつかせていたが、もちろん闘牛ではない。
牛からしたら「なんやこいつ、どっか行けよ」って感じだったと思う。
(あとから知ったが、闘牛は赤いものに反応しているわけではなく、ヒラヒラ動いているものに反応しているそうだ。)


それにジブリに出てきそうな場所がいたるところにあった。
探検しているとたまに人がいて、大きな声で挨拶をすると「お菓子食ってけー」「ジュース飲むかー?」と言われ、知らない人の家をハシゴしていた。

いつも縁側で日向ぼっこをしているおばあちゃんは足が悪いみたいだったので、お花やどんぐり、山菜を持っていってあげるとすごく喜んでくれた。
そして、そのお礼にまたお菓子をもらえた。

おかげで小学生の頃はお菓子に困ることはなかった。

しかし私の実家は駄菓子屋だったので、元々お菓子には飢えていなかった。
ビックリマンシールもすぐにコンプリートできたし、モー娘。のブロマイドだってたくさん持っていた。


知らないお宅でお菓子を食べると必ず「どこんちの孫だ?」と聞かれ、爺ちゃんの名前を言うと「なんだ、〇〇さんちの孫か!もっと食え」とチヤホヤされる時間がただ好きだった。

うちのお爺ちゃんは有名人なのか!
みんな知ってるんだ!へへん!って感じで嬉しかった。

(これでも一応、平成生まれなのだが昭和感がすごい。)



ジュースやお菓子を食べ、ペット(?)の牛に藁をあげさせてもらい、いま思い返してみると、他人の家で好き勝手やらせてもらっていた小学生だった。



そうやって自然豊かな場所で地域住民に育てられたせいか、とても純粋な子どもだった

そんなとき、テレビであるCMが流れた。


「石は生きとる生きとる」というフレーズが印象に残る、石同士が会話をする墓石・石材店のCM。
福島県出身の方なら一度は見たことはあるのではないか。



小学校低学年の私はこのCMをみて衝撃を受けた。

「石は生きとるだと・・・?」


そうだとしたら学校まで通っている途中で蹴った石、水切りでぶん投げていた石、

私は生命の宿ったものに対してなんて酷なことをしていたのだろうと震えた。(純粋すぎる)


翌日、学校に行く時に玄関を出てすぐ
盆栽の隣に置かれた石に「石さん、おはよう」と挨拶をした。

玄関から道路に出るまで、石を踏まないように気をつけながら歩いた。

そういえば今歩いている「道路」は、石と同じ色・・・これも石なのか?
石だとしたら、大変だ。


「学校に行くためにちょっと歩くね。
痛くないように歩くから、上を歩いてごめんなさい」
と学校まで優し〜く歩き、
学校に到着したら「重かったね、ありがとね」と道路にお礼をいった。

その日の授業は全く聞いていなかった。
石に命が宿っていたとしたら、机や椅子、服、
自分に関わっているもの全てに命が宿っているのではないかと考えていた。


そして小学校低学年ながらにして「お日様、今日も光をありがとう」
「椅子さんと机さん、今日もよろしくね」と何をするにも全てのものに命があるものだと思って心の中で会話をしていた。


掃除の時間に椅子と机を運んだ際、うっかり椅子を倒してしまった。
「うわー!ごめんね!!」とつい大きな声で言ったら、先生にとても褒められた。

「ものを大切にして素敵だね」と。


褒める理由がわからず「生きているから、痛いと思った」と言ったら、
先生から「生きていない」と言われショックを受けたのを今でも覚えている。

石も、太陽も、椅子も机も生きていないそうだ。



しかし、毎日通る道路に命は宿っていないと知り、安心した。
命が宿っていたら、申し訳なさすぎて通学できなくなるところだった。

いつもは小石を蹴りながら帰るがその日から小石は蹴らずに帰るようになった。


牛の気持ちを考えたら、赤いランドセルを見せることは不快だろうと思い、ランドセルをチラつかせることもしなくなり藁をあげて謝った。
(闘牛ではないのでなんとも思っていないと思う。)



石は生きとるCMのお陰で、相手の気持ちをわかろうとする気持ちが身につきいい教育になった。



のちに先生は家庭訪問にて「アンナさんは小学校低学年にして何に対しても生きているように扱って、相手の気持ちがわかる子ですね。どんな教育をされているんですか」と母に教育方法を聞いてきたそうだ。

それに対し母の返答は「野放しにしています。」だった。


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