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平日よりの使者 -まいさん-

会社員になり、転職をし、カメラやプリンターの説明書の編集や英文チェックなどに携わるようになってもう7年になる。高給ではないにしても一応安定した収入があり、一定水準の生活はしていると思う。

でも、仕事にやりがいを感じているかというと、微妙だ。
説明書を正確に作るというのは確かに世の中に求められているし、意味のある仕事だと思うが、それをやるのは別に私じゃなくてもいいよなーという冷めた気持ちはなくならない(客先に常駐する働き方をしているため、自分の裁量でできることが少ないせいもあるだろうけど)。
求められている作業を正確にこなして認められることで社会や組織の中に居場所がある・経済的に自立できているという安堵感は得られるし、それが欲しいからこそ辞めずに続けているのだが、その安堵感は「やりがい」「達成感」と呼ばれる感情とは別物だ。

何年も働いていると、鬱で休職する人、辞める人を目にする機会もある。……今の、達成感ゼロの状況の中で知らず知らずのうちに精神が擦り減り、ある日突然あんな風に破綻するのかもしれないと想像すると不安になった。
とりあえず、生活の中に、自分にしか作れないものを作る時間を持とう……そんな気持ちでブログを書いたり、撮ったきりになっていた写真をアップしたり、ZINEを作ってみたりした。クリエイターではなくても、クリエイティブに生きることはできる、と信じてみることにした。
ブログでもZINEでも、そんなに大きな結果が出たわけではないが、会社以外に自分の世界があるという実感はちょっと救いになった。代えの利く労働力以上の何かになれた気がした。
『センター試験英語対策 featuring ミスiD2018』も、こういう気分の中で生まれたものだ。誰かに届いたという手応えが一番大きかった。

同じ必然

今年はミスiDを例年以上にしっかり見ようと意気込んで、私は膨大な数のPR動画を見た。
白地にドット柄の襟が特徴的なノースリーブの黒いワンピースを着たまいさんは、色白で頼りなげな美人だった。喋り方もふわっとしていて、儚い感じがした。
(彼女は学生でもアイドルでもないので、ちゃんではなくさん付けにしています。)

彼女はマイクが置いてあるテーブルについた状態で語り始めた。
「去年の春くらいに、大学を中退して、ホステスをしてます」
「去年の夏ぐらいから、何かしなきゃって思って、noteで音声配信を始めました」
「音声配信を始めたのは、何か、動かなきゃ、何か、もがかなきゃ、って思って……」

何かしなきゃ。動かなきゃ。
聞いていて、ブログやZINE作りを始めた頃の自分と同じような切実さを見たように思った。

もちろん両親が存命で、大学の学費のために夜職をした経験もない私の苦しさなど、彼女のそれに比べれば遥かに軽いものだろう。「同じような切実さ」という表現自体、おこがましいことではある。
しかし彼女の言葉や態度から滲み出る、社会から零れ落ちないためのルーティーンワークに明け暮れているうちに死んでゆく心を何とかしなければという焦燥感は、私もよく知っているものだと感じた。

これまで、私にとってのミスiDのPR動画は、別世界への窓のようなものだった。普段の生活で足を踏み入れることのない世界を、女の子たちを通して眺める。地下アイドルの世界、芸能界、表現者を志す若い子たちのコミュニティ、教室の片隅、外の世界から自分を守ってくれる部屋、閉鎖的な地方都市……ウォッチャーになると、そんな知らない世界を覗き見ることになる。しかし、まいさんのいる世界は、私が生きている世界と地続きのような気がした。彼女の動画から流れてきたのは、私の平日の空気と似ていた。

起床。出勤へのカウントダウン。顔を洗い、食事をさっと済ます。誰にも突っ込まれない無難な服を着、メイクをし、髪を整え、義務を果たすべく家を出る。電車に乗る。頭に浮かんでくる、職場の面倒な人々。あー、嫌だな。何事も起こりませんように。目的の駅に着く。雑踏。人を避けながら改札を出て、職場に向かう。
与えられた仕事をこなし、時にミスをして注意される。キリのいいところでトイレに行く。スマホを開く。ミスiDのあの子、何か呟いてるかな。でもあんまり長時間離席するわけにもいかない。あと3時間か。長い……。
「別に一生この仕事やろうとは思ってないし」と言い訳をしつつも、父親と価値観が合わないので実家からは自立していたいし、そのためには安定した収入が必要だという状況の中で、別の場所を見つけられないまま何となく踏みとどまっている私の平日はこんな感じだ。

「毎日しんどいし、もう嫌だなって思ってもいいし、でもそれに引っ張られちゃうのも絶対違うと思うし。色んな過去とか境遇とかあって、やだねって思っても、こういうの聴いたり喋ったりして、しょうもないなって、しょうもなくてもいいんだって気持ちが楽になって、みんなで変わっていけたらいいな」

そうだよな……私も引っ張られたくないと思う。

葛藤の良心的なパッケージ化

彼女がnoteでやっている音声配信『まいちゃんねる』を数回分聴いてみた。トーク番組のようなつくりで、編集者/ライターの長谷川賢人さんが聴き手を務めている。
内容は、まいさんがホステスをしている中で感じたこと(クソ客やママから言われたことなど)、恋愛観、女性観といったような、職場やプライベートにおける人間関係に関するトピックが多い印象だ。
ホステスのトークというと、男を落とすテクニックや派手な男性遍歴や性癖などの色っぽい内容をイメージしてしまうが、この番組は全くそういう感じではない。まいさん(恐らく積極的にホステスを志していたわけではない)が、肉食女性とは真逆の頼りなさで、日々の愚痴や気付きを、時に笑いや控えめな怒りを交えつつぽつぽつと語るユルい番組だ。聴き手の長谷川さんのお陰で暗くなりすぎることもなく、安心して聴ける。あと声が可愛い。

ちゃんと人として尊重してくれない男性は嫌だけど、女性性を殺して男と互角に戦おうとする行き過ぎたフェミニストにも違和感を覚える。自分にものすごい個性があるわけではないし、「個性は正義」みたいな意見は好きじゃないけど、誰かにとって特別な存在になりたい気持ちもある。等身大の葛藤が、私たちのキャパを超えない程よい軽さで届けられる。個人的に「女が嫌いな女」の回は共感する点が多かった。
まいさんに対する店の客からの暴言やワンチャン狙いの男からの不可解なラインの話に長谷川さんが驚くという展開が結構多く(私が聴いた回だけ?)、ホステスという仕事の過酷さが伝わってくる。
亡くなったお父さんの遺した日記について語っている回を聴いて、彼女が醸し出す所在無げな雰囲気の源が見えた気がした。

展望?

9月21日に発表されたファイナリスト一覧の中に、彼女の名前はなかった(私の中では意外だった)。
彼女はCHEERZでの復活戦にはエントリーせず、ツイッターで「#ミスiD2019復活戦」のタグを付けてツイートをするという控え目な参加の仕方をしていた。最終的に、彼女が復活者に加わることはなかった。
(セミファイナル期間にリスナーも増えただろうし、長谷川さんという協力者もいるわけだから、あとは自力で頑張れということ? もしくは、彼女がツイッターで明かした、好きな人の好きな女性がミスiDに出ていた人だった→自分もそこで結果を出して認められたいというもう一つのエントリー理由が関係しているのだろうか……? 「なりたい自分を自分で定義できるようになりなさい」という選考委員からのメッセージ? その辺りは小林司実行委員長にしか分からないことですが……。)

しかし、彼女がセミファイナリストとして過ごした2か月は、決して無駄ではなかったように見える。
まず、世の中にはちゃんと自分の内面も見てくれる男性がいるという希望を持てるようになったのではないだろうか。セミファイナリストの部屋に出た後のツイートを読んで思った。
そして先日、彼女のツイッターに、ホステスを辞めたという報告があった。納得できる人生への一歩を踏み出せたのは、ミスiDで沢山の人に注目・応援される立場になり、頑張って生きている女の子たちと出会ったことと無関係ではない気がする。病まない仕事が見つかるよう陰ながら祈る。。。

なお、彼女は11/25(日)の文学フリマに出るそうである。
今回の結果にかかわらず、彼女は自分の可能性を模索する旅を続けてゆくだろう。
私も応援したい。そして自分も、仕事としてやるかどうかはともかく、これが自分のライフワークといえるようなものを模索したいと思う。誰かにとって、代えの利かない存在になれるように。

第二十七回文学フリマ東京(2018/11/25) 開催要項:
https://bunfree.net/event/tokyo27/#20181125

まいちゃんねる:
https://note.mu/hasex/m/m46a4ff6e76e3


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