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きむらのサッカー人生〜中学生編①

GRANDE FC地獄の走り

GRANDE FC(以下 グランデ)のセレクションには無事通過しました。大宮アルディージャジュニアから、自分も含め4人がグランデに入団しました。私の代は、思いの外レベルが高く、実戦形式のセレクションでは、グランデの新2年生をボコボコにしたのを覚えています。

GRANDE FCの代表は坂口さんという方で、厳しく怖い人でした。3年からは岩田コーチになります。

グランデでの活動が始まり、新しいチーム、仲間とのサッカーに大きな期待を抱いていました。グランデはとにかく走るチームでした。
19時からの練習で、18時に練習場に到着します。練習着に着替えると、各々体幹トレーニングを始めます。そして監督がベンツに乗って練習場に現れると、10周。と告げられます。1年生から3年生、約80人が一斉にグランドを走ります。練習前に走り込みをし、かなり疲労が溜まった状態でボールを使った練習が始まります。この練習前の走りは、その時の監督の機嫌により周数が決められ、15周、20周の時もありました。
※監督が遅れて来る時は練習前の走りはなく、いつも遅れてくれと願ってました。あの白いベンツ、今でもナンバーは覚えてます。笑

もともと持久力がない私は、いつも後ろの方で死にそうになりながら走ってました。練習がキツすぎて、火曜、水曜、木曜と練習に行くのが辛かったです。土日の試合の方が全然楽だった笑 中でも1番キツかったのは、グランデリレーと呼ばれる地獄のメニューです。二人組を組み、リレーをするのですが、勿論普通のリレーではなく、とんでもない距離を走り、勝ち抜け方式で行われます。だから最初の方に勝ち抜け出来ないと、ずーっと走ることになるわけです。
今覚えば当時はほんとによくがんばったと思います。走りがキツくてやめていく選手もいました。しかし、やはりサッカーが大好きで、プロ選手になりたい。そのためにきつい走りでもしないといけないって感じていたんだと思います。しかしこのきつい練習は、橋本コーチという新たなコーチが来ることで無くなります。橋本コーチは走っても意味がないという考え方で、私たちにとっては救世主でした。あのまま3年間走り続けていたら、もっと違うタイプのプレーヤーになっていたかもしれません。走り込みがなくなってからは、あれだけ行きたくなかった練習も、少し楽しみなものとなっていました。

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