きむらのはなし。

2000/09/07群馬県生まれ埼玉育ち。サッカー大好きな大学生です。プレーヤーは引退…

きむらのはなし。

2000/09/07群馬県生まれ埼玉育ち。サッカー大好きな大学生です。プレーヤーは引退しました。

マガジン

  • きむらのサッカー人生

    今までのサッカー人生の出来事や思いを 書いてみました。

最近の記事

きむらのサッカー人生 ~高校生編⑤~

惨敗 リーグ戦は開幕2連戦の後も勝ち続け、クラブユースの北信越予選大会を突破し、本戦への出場権を得ました。 夏のクラブユースに向けトレーニングに励んでいましたがグループリーグの抽選により、ガンバ大阪、柏レイソル、サガン鳥栖と同じグループに決定しました。プレミアリーグ所属の2チームとプリンスリーグ九州1位のチームとのグループリーグです。正直めちゃくちゃきついなって思いました。更に、大会開催前にキャプテンと守護神が離脱してしまいます。もう焦りしかありません。 初戦は柏レイソル戦

    • きむらのサッカー人生 ~高校生編④~

      ここから 中緩み2年生を終え、ついに最終学年での活動がスタートします。1年時にお世話になった監督が再びユースの監督になりました。 チーム始動時はボランチとしてプレーしていましたが、安定したプレーが出来ず、試合に出たり出れなかったりでした。プリンスリーグ開幕前にイギョラ杯に参戦しますが、個人、チーム共に良い成果が出せずに不安が募っていました。リーグ開幕直前の清水遠征で、センターバックにコンバートされます。常に前を向いてプレーできるセンターバックは、自分としては気が楽なポジショ

      • きむらのサッカー人生~高校生編③

        中緩み 2年生になり、監督が変わりました。ゼロからのスタートだと、気合を入れて臨みました。1年間のスタートは、静岡で行われるスーパーリーグなのですが、最初はずっとBチームで出ていました。1年の時はセンターバックを主にやっていましたが、監督が変わりボランチでプレーすることが増えていました。監督が変わったことで多くの環境が変わり、評価基準、求められるプレーの違いに戸惑い、試合に出られないことに不満が溜まっていきました。思い通りにならない自分の環境に不貞腐れ、モチベーションも無く

        • きむらのサッカー人生~高校生編②

          転機 高校生編①では、ハードな練習と自分の下手さとできつい日々を送っている日々を書きましたが、そんな中でも、10月くらいに、転機が訪れました。 試合に出たり出れなかったりを繰り返していましたが、プレミアリーグの中断期間に、少しだけトップチームでプレーさせてもらう機会がありました。紅白戦で良いプレーができ、トップチームの3年生のセンターバックが怪我をしていたことも重なり紅白戦ではトップチームのセンターバックでプレーさせてもらいました。隣の右サイドバックはプロが内定していた選手

        きむらのサッカー人生 ~高校生編⑤~

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        • きむらのサッカー人生
          17本

        記事

          きむらのサッカー人生~高校生編①

          地獄の1年生 ここから新潟での高校生活が始まる訳ですが、1番最初の練習は、新高一のみで行いました。新潟ジュニアユースからの昇格組と、セレクション組、またスカウト組とでは初めての練習です。簡単なパス練からポゼッションまで行いましたが、やはりみんな上手く、少し先行きが不安になりました。しかし、ここでやるしかないと必死に練習に励んでいました。 次の日からは、全体練習でした。最初のパス&4対2のポゼッションは、1年から3年までみんな混ざってやります。先輩たちは自分より明らかに技術が

          きむらのサッカー人生~高校生編①

          きむらのサッカー人生~中学生・進路編③

          決断 新潟から合否の連絡があったのは練習参加から2週間後でした。まずグランデのスタッフに連絡があり、正式なオファーのお話ということで新潟からスカウトの方、育成強化部長の方が来て私と私の家族、グランデの監督さんで話しました。提携してるjapanサッカーカレッジ、開志学園高校について、寮での生活についてなど色々と聞きました。最後に、1週間後までに答えを出して欲しいと言われました。親はやはり反対で、しっかり受験して浦和南か武南に行けばいいんじゃない、と言ってました。 私はサッカー

          きむらのサッカー人生~中学生・進路編③

          きむらのサッカー人生~中学生・進路編②

          アルビレックス新潟ユースに練習参加 アルビレックス新潟ユースはJAPANサッカーカレッジ、開志学園高校と提携し2部練習が週3であり、普通の高校生とは少し変わった生活をします。 こんな感じです。 私が練習参加したのは火曜、水曜だったので、 新潟ユースの先輩には、1番きつい2日間に来たなって言われました。火曜の午前練の前に、監督の入江さんに挨拶に行き、軽く自己紹介をして練習に入りました。有酸素系の走りは、1分半でグランドを1周。これを12~15周走ります。グランデの時に走

          きむらのサッカー人生~中学生・進路編②

          きむらのサッカー人生~中学生・進路編①

          ※ 中学生編③の※にある通り、怪我から復帰し てから高円宮杯までの間に進路が決まりまし た。時系列がごっちゃになって分かりずらいとは思いすが、ここでは進路について話したいと思います。 進路について 私は埼玉県の、さいたま市立浦和南高校を目指して勉強に励んでました。私立では、武南高校を目指していました。武南高校のサッカー部のセレクションを受け、サッカー推薦での内定はもらっていました。親には受験をして浦和南高校に行くことを推されていましたが私は

          きむらのサッカー人生~中学生・進路編①

          きむらのサッカー人生~中学生編④

          GRANDE FCを選んでよかった 全国大会への出場は惜しくもならず、最後には埼玉県クラブユース選手権(県大会)が残っていました。グランデは勝ち続け、準決勝で大宮アルディージャと対戦しました。私は大宮アルディージャジュニアの出身なので、絶対に勝ちたかったです。私はセンターバックでスタメン出場。いつも以上に気合を入れてプレーしました。チームは2-1で勝利。大宮アルディージャのジュニアユースには上がれなかったもののグランデの選手として勝てたことは自信にもなり、グランデの仲間の頼

          きむらのサッカー人生~中学生編④

          きむらのサッカー人生~中学生編③

          怪我を乗り越えて 完全復活したのは8月末頃でした。関東2部リーグの後期にはメンバー入りし、復帰して初めての公式戦は鹿島アントラーズノルテ戦、センターバックで先発フル出場しました。この時には左肩の恐怖心も全く無く久しぶりの公式戦、思いっきりサッカーしました。後半の最後に先制し、勝利しました。そこからのリーグ戦は試合に出続けることができました。 ※復帰から高円宮杯までの間に進路が決まるわけですが、先に高円宮杯の話します。 進路については中学生・進路編①で話します。 全国大会

          きむらのサッカー人生~中学生編③

          きむらのサッカー人生~中学生編②

          全治約1年の大怪我 中学生の私は、月曜、金曜に塾へ通い、火曜、水曜、木曜、土日とサッカーに打ち込んでました。今思えば淡々と日々を過ごしていく、特に変わったことはなく、サッカー上達のため、練習に取り組んでいました。2年生の頃には、トップチームの練習に混ざったりしながら、3年生になったら試合に出て、クラブユース選手権、高円宮杯で優勝することを目標にしていました しかし、突然に大好きなサッカーから離れることになります。 2014年の10月31日、グランデの友達と遊ぶ約束をし、自

          きむらのサッカー人生~中学生編②

          きむらのサッカー人生〜中学生編①

          GRANDE FC地獄の走り GRANDE FC(以下 グランデ)のセレクションには無事通過しました。大宮アルディージャジュニアから、自分も含め4人がグランデに入団しました。私の代は、思いの外レベルが高く、実戦形式のセレクションでは、グランデの新2年生をボコボコにしたのを覚えています。 GRANDE FCの代表は坂口さんという方で、厳しく怖い人でした。3年からは岩田コーチになります。 グランデでの活動が始まり、新しいチーム、仲間とのサッカーに大きな期待を抱いていました。

          きむらのサッカー人生〜中学生編①

          きむらのサッカー人生〜小学生編⑤

          埼スタでの決勝戦 決勝戦は、埼玉スタジアム2002のピッチで行われました。あの新座片山をボコボコにしたレジスタFC、試合前は勝てる気がしませんでした。 選手入場の際に緊張して震えてました笑  憧れの浦和レッズのスタジアムで、観客も多く、みんな緊張した様子でした。 小学生にしては大人用のフルピッチは広すぎて、パスが全然繋がらない。レジスタFCも大宮アルディージャも、ほとんど蹴り合いみたいな試合でした。なぜか私は調子が良く、楽しんでプレーできてました。前半に1点、後半に1

          きむらのサッカー人生〜小学生編⑤

          きむらのサッカー人生〜小学生編④

          悔しすぎた県大会 6年生になり、チーム始動。監督は、丹野さん(現ユース監督)で、私は背番号2 になりました。丹野さんは、優しいけどサッカーに対してとても熱く、イケメンな人でした笑 現役時代は大宮アルディージャの選手で、ほんとに、多くのことを教えてもらいました。 夏には走り込みのトレーニングもあり、みんなで励まし合いながら走ってました。かなりきついメニューでした。 そして夏の全国大会を決める県大会。大宮アルディージャは順当に勝ち上がり、ベスト8で強豪の江南南と対戦しました。

          きむらのサッカー人生〜小学生編④

          きむらのサッカー人生〜小学生編③

          新たな環境に身を置いて セレクションに無事合格し、大宮アルディージャジュニアに入ることを決めました。三室sssの仲間と離れるのは嫌でしたが、仲間もコーチたちも、鬼の監督も快く送り出してくれました。 小学5年生からチーム始動でした。練習は水曜、金曜、土日で、平日は堀崎公園、土日はNTT志木グランドでの活動でした。 大宮アルディージャでの活動は自分にとってレベルが高く、最初のうちはただただ大変でした。けど今まで味わったことない事にたくさん触れ、いろいろなことを学び、確実に大き

          きむらのサッカー人生〜小学生編③

          きむらのサッカー人生〜小学生編②

          大宮アルディージャジュニアへ 転機が訪れたのは小学四年生。サッカーがもっとうまくなりたい、プロ選手になりたい。また、監督が怖くてもう嫌だ。小学生なりに考えていました。そして、チームを変える選択肢もあることを親から聞きました。僕はサッカーを始めた当初から、地元のクラブである浦和レッズのファンでした。なので、浦和レッズの下部組織に入りたかったわけですが、浦和レッズジュニアができたのは2013年なので、当時はなかったんです。自動的に大宮アルディージャのジュニアチームに興味を持ち始

          きむらのサッカー人生〜小学生編②