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備わっている機能、帰巣本能?

わたしは出不精である。
多くの知り合いからはアクティヴな人間だと言われるけれど、もともとはパッシヴな人間なのだ。
とにかく家から出るのが面倒くさい。
人間が面倒くさい
人間でいることが面倒臭いからもう常に「帰りたい」と思いながら生きているような気さえする。
多分多くの人は一度でも”家にいながら帰りたい”、”家ではない場所へ帰りたい”と思った経験があるのでは?と思っている。

カエリタイ=返りたい=換えりたい…etc
色々なカエリタイがあるけれど、わたしのカエリタイは「ここではないどこか、この世ではないどこか、もっともっと遠くの命の原点」というような曖昧な場所をさしている。
だからって死にたいとかそういうことではなくて。
なんだかわたしの無意識な部分、探そうと思っても目に見えないから見つけられないような場所にあらかじめ備わっている機能の一つのような感じで存在しているのだ。
わたしの”カエリタイちゃん”は。

日々は楽しい。生きることは大変だし辛いこともあるのだけれど。
その時その時のありったけの面倒くさいをひっぺがして大好きな人に会うのも幸せを感じるし、本当は家の外にドキドキすることが沢山転がっていることも知っている。
のに。のに、なのだ。

”カエリタイちゃん”は声を出すでもなく話しかけてくるわけでもなく、気が付いたら背中合わせをしてるみたいにぴったりとわたしにくっついていた不思議な存在。
遺伝子に水性インクでしっかり書き込まれているんじゃないだろうか。

でもこれこそが「ニンゲンの帰巣本能」なんじゃないかとも思っちゃったりする。
サケが生まれ育った(稚魚の時期)川へ戻るような、わたしも始まりの場所を本能が覚えている…ような。ような?
母の子宮よりももっと遠い場所、もっともっと原点。
だって卵子だけじゃわたしは作られなかったわけだし、ね。
実はサケたちも生まれ育った川へ戻ってからも「カエリタイ」って思ってるのかもしれない。
もっともっと始まりの場所へ。

そんなことをふと考えた午後。
う~ん、ちょっぴりカエリタイな。やっぱり。

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