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私の祖母の家は富山県にあり、すぐ目の前に神通川が流れている。かの有名な公害病で社会のテスト頻出の川だが、祖母の住んでいる地域は、あまり被害はなかったらしい。上流寄りの中流なので川底は深く、暗いエメラルドグリーンの水がどうどうと流れている。その大きな川には両岸を結ぶ大きな赤い橋がかかっていた。

この橋を渡った先には小学校があり、夏休みにはプールを開放していた。小学生の頃、私は夏休みの帰省には必ず水着を持っていって、そこのプールに入るのを楽しみにしていた。プールに行くために、おばあちゃんとよく手をつないでその橋を渡った。橋は、すごく長くて、いつまでも渡り終わらなくて、いつも橋の上を歩いているのに川に吸い込まれていってしまうような感覚に襲われる。永遠にこの橋を渡り終えられないんじゃないか、と不安になるのだった。

「ねえおばあちゃん、もし私たちが渡ってるあいだにこの橋がこわれたらどうする?」
「そんなこと考えると怖くなるねえ。さっさと歩こう」
そう言って、おばあちゃんは私の手を引くのだった。おばあちゃんの手は大きくて、あたたかくて安心した。

それから数年。おばあちゃんは認知症で要介護となり、離れた町の施設で暮らすことになった。年に数回、墓参りの時だけ実家に帰ってくる。墓参りに行くために、久しぶりにその橋を渡ると、ふと小学生の頃、一緒に渡った思い出が思い出された。

あれ、おばあちゃんってこんなに小さかったっけ。

気がつけば、私はおばあちゃんの背をすっかり追い越していた。
正直、その時橋の上で何か会話をしたのかも覚えていない。おばあちゃんは認知症で私と母を混同していたので話していたとしてもおばあちゃんにとっては母との会話だったのかもしれない。

これが、おばあちゃんと橋を歩いた最後の思い出だ。

昨年、おばあちゃんの三回忌でまたあの橋を渡った。ペンキが塗りなおされて鮮やかな赤になった橋は、ど田舎の限界集落では目立っていた。あの頃永遠に渡り終えられないんじゃないかと不安になっていたあの橋も、緑の神通川とのコントラストが趣き深くさえ感じられた。
そんなことを考えながら橋を渡ると、あっという間に対岸についてしまった。

あれ、縮んだ?いや、そんなことはないよなあ。

自分が大きくなったんだなあ、と静かに納得して、おばあちゃんの待つ家に帰った。

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