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本を出したい女の話12

私は小学3年生から美容師になりたかった。その夢は変わらず、高校の進路相談でも迷うことなく美容学校に進路先を決めた。美容師になることを信じて疑っていなかった。あの時は地元の学校ではなくなんとなく一人暮らしに憧れて札幌の学校に行きたいと駄々をこねたがそれは却下された。『美容師になりたいのは小学生のときから変わることなく言ってたから専門学校には行かせてあげるけど、別に地元の学校でもなれるでしょう?』と言われたのを今も何故か覚えている。
なんとなく変わらない想いを選別する親の判断は的確だったし、夢を口に出し行動していると周りも自然と応援してくれるということを知った。

無事国家試験に受かり、2年の専門学校を卒業したものの美容師と胸を張っていえるようになるのはまだだいぶ先のこと。長い長い下積み時代の幕開けだ。今でこそ美容師も自由や賃金をまともに得られる仕組みが出来てきたが、当時は残業代や有給なんてものはなく、正直とんでもないブラック企業だったと思う。それでも優しい先輩達がいてくれたおかげでどうにか辞めずに5年の月日をかけてようやく髪を切ることができる美容師になった。

が、私は気付いてしまった。一つ夢が叶う頃には新たな夢が出来てしまうのだ。

念願の美容師になったのも束の間、私は古本屋で運命的な出会いをしてしまう。それは1人の美容師が世界中をフリーカットしながら旅するというお話。まさに青天の霹靂。なんとしてでもやりたいと思ってしまった。海外なんて一度も行ったことがなかった、むしろ興味もそれほどなかったのに、ページをめくるたびに私はこれを絶対やるという気持ちが沸々と溢れた。

まずは何をする?行きたい国をリストアップし、予算はどれくらいにするかを決め、いつ出発するのか、ていうかパスポート取らなきゃじゃん、え、期間はどれくらい行こうか?などなど新しいことを始めるとき、頭の中はハテナで埋め尽くされる。もはや私はこれが楽しいのだけど。

まずは資金。安月給の新米美容師にすぐ渡航できるだけの貯金などなく、資金調達をする必要があった。昼間は美容室で働き、平日の夜は母が営む居酒屋で、週末の夜はスナックで働くというトリプルワークをこなし半年くらいである程度のお金が用意できた。毎日眠たくて疲れていたけど、それよりも旅をしたい!!!という気持ちが上回っていた。無我夢中だったのだ。この時ほど貯金していたらすぐに動けたのに!!と思ったことはない。残念ながらその後の人生でも何回も思っているのだけど。貯金大事。(遠い目)

そして突如ツイートで回ってきたクロアチアの絶景。ここに行くまでは死ねないと本気で思った。
そのツイートの発信者は軽やかに世界を飛び回っている女性だった。愉快に、たおやかに、そして芯の強さもあるとても魅力的な人だった。その人の紡ぐ言葉はこれから未知の経験をしようとしている私にとって、ものすごく刺激的で、勇気をくれて、早く旅に出たいと思わせてくれた。いつかこの人に会いたいという強い想いはあっという間に叶うこととなる。

さて、旅に出るに当たって仕事を辞める必要があった。休職をさせてくれるわけもない。でも恩がある。働き始めて3年目くらいの時、私は他に魅力的な仕事を見つけ転職しようとした。親にも周りにも物凄く反対されたけど、それを押し切って3ヶ月前に美容室にも辞めることを伝えていた。なのにその転職先が美容室をやめる1ヶ月前に倒産したのだ。私はオーナーに頭を下げ、引き続き働かせてもらうことになった。この一件で、人生で自分が生きるべきではない道に行こうとしている時、本当に流れが悪くなる。周りからも反対されるし、それでも突っ走る時は強制終了が起こる。という学びを得て、自分が今正しい道にいるのか、間違った方向へ進んでいるのかがわかる指標ができた。

そんなこんなでようやくスタイリストになって店の売上に貢献できるとなった矢先にこれだ。
飛んだ問題児である。

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