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ヨーガ・スートラ Ⅰ-4

vṛttisārūpyam-itaratra

Ⅰ-3 のスートラでは、citta vṛtti nirodhaḥ の状態になったときの結果が説かれました。では、そのような状態にならなかったら、どうなるのでしょうか?
Ⅰ-4 のスートラでは、citta vṛtti nirodhaḥ ではないときのマインドの状態について説かれます。

1.  Integral Yoga: The Yoga Sūtras of Patañjali ー Sri Swami Satchidananda

  At other times [the Self appears to] assume the forms of the mental modifications.


2. インテグラル・ヨーガ ー 伊藤久子訳

  その他のときは、【自己は】心のさまざまな作用に同化した形をとっている【ように見える】。


3. 【新版】インテグラル・ヨーガ ー 伊藤久子訳

  その他のときは、【真我は】心のさまざまな変化に同化した形をとっている【ように見える】。


4. 解説 ヨーガ・スートラ ー 佐保田鶴治

  その他の場合にあっては、真我は、心のいろいろなはたらきに同化した姿をとっている。


5. 図説 ヨーガ・スートラ ー 伊藤武

  さもなくば、[プルシャは心の]活動と同じに〔なる〕。


6. ラージャ・ヨーガ ー スワミ・ヴィヴェーカーナンダ

  他のとき(集中したとき以外のとき)には、見る者は、変化したものを自分だと思う。


7. 魂の光 ー アリス・ベイリー

  これまで内なる人間は自分自身を自らの様々な形態と、そしてその活発な変異と同一化してきた。

「その他のとき」とは、「citta vṛtti nirodhaḥ になっていないとき」ということです。つまり、Ⅰ-3 のように、ありのままの自分でいられず、物事をありのままに見ることができていない、という状態です。
そのような状態に陥っていると、マインドが感じ取るように物事をとらえてしまうのです。

ヨーガの状態が保たれていれば、Ⅰ- 3 のように、Puruṣa の目で物事を判断することができますが、ヨーガの状態でないときはマインドの活動を通して見るほうが優先されてしまい、物事に対して間違った認識をもってしまうのです。


とはいえ、Ⅰ- 4 の状態は、わたしたちの常です。

Ⅰ- 3 で例えを挙げましたが、コップに入ったお水に対しての認識が状況によって変化するように、たとえその時 自分が正しいと思って判断したことでも、マインドを通して判断することは その時その時で変わり続けます。
変わり続けるものは、ほぼ、マインドが作り出しているものの結果なのです。

ですから、Puruṣa の目で物事の本質を見ることができるように、citta vṛtti nirodhaḥ でいられる練習をヨーガを通して実践していくのですね。

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