岡山のこと(その1)
可能な限りたくさんのスタジアム(サッカー)に行く。それが私のカルマだ。前世は多分、フーリガンの暴動に巻き込まれて死んだ。
そんなわけで岡山へ。未踏のシティライトスタジアムを訪ねるためだ。
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せっかくだから岡山を楽しみ尽くしてやろうと事前に色々調べたところ、素敵な施設の存在を知った。
「つやま自然のふしぎ館」
私は三度の飯より不思議が好きだ。行かないわけにはいかない。
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2023年6月某日の夕刻、岡山桃太郎空港に降り立った。
スケジュールの都合上、不思議は明日にお預けで、1日目は津山にたどり着くのが関の山だった。
津山のご当地スーパーで晩飯を買い、ビジホでセルフレセプションを盛大に催した。
背負い寿司に、さわら。最高の幕開けである。
背負い寿司のこいつが憎い。
どこが鼻でどこが口なのか、絶妙な騙し絵フェイス。頬にはうっすらデーモンメイクを施しているように見えなくもない。寿司はうまかった。
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翌朝、開館直後の「つやま自然のふしぎ館」を訪ねた。
珍奇動物。パワーワードに期待が高まる。
何しろ私もあわれなる珍奇男だ。みなさんあきれておられる。
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受付に「おはようございます!」と元気なご挨拶をかましたところ、スタッフの紳士が「割引券あります?」と仰った。
「Tポイントカードお持ちですか?」くらいのテンションは、まるで割引券を持っているのが当たり前といったご様子だったが、そんなものは持ち合わせていない。
のっけから損した気分になってしまったが、寄付だと思って気持ちよく支払った。不思議は金で買う時代だ。
いざ、ふしぎ館。
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ウェルカムセントバーナードである。とてもウェルカムという表情ではないが、きっと歓迎してくれているはずだ。
開館直後ゆえか、照明が点いていなかったのはご愛嬌(帰りには点いていた)。
とても大事なことが書かれている。しかし、なんだろう、怖い。珍貴、珍獣、奇鳥。
「上記貴重希少標本資料」と韻を踏んでいるあたり、名うてのラッパーによる仕事だろうか。
ラッパーとは思えぬ「サフアリー」もよい。定食屋の「オレンジジュスー」と同じ仕組みである。
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さて、貴重な動物の剥製もさることながら、私がここへとやって来たのは、人の臓器が展示されているという情報を目にしたためである。それこそまさに貴重希少標本資料だ。
なんでも創立者の森本さんという方が「死後、自分の臓器はみんながお勉強できるように展示してくれ」(大意)という遺言を残し、それを熱意ある関係者が実現したということらしい。
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残念ながら撮影禁止であったが、ホルマリンに漬かった脳、腎臓、肝臓、肺をしっかり拝むことができた。ご丁寧に例の遺書まで展示されていて、大変胸が熱くなった。
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「頭骨分離標本 ーひとー」とある。「D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜」と同じ構文だ。
そして「実物」。選挙期間中に「本人」というタスキをかけた候補者を見かけるが、あれと同じようなことだろう。
生前は一体どんな人だったのだろうか。まさか死後に「頭骨分離標本 ーひとー」としてスポットライトを浴びようとは、思ってもいなかっただろう。
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世紀の大スクープみたいな言いっぷりである。「プレスリーは生きている!」「チンギス・ハーンは源頼朝だった!」みたいな。
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こんな写真も掲示されていたが、割とアレな感じなので検閲させていただいた。北大提供の写真らしい。津山で道民をビビらすなよ。赤ん坊の足って。
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そして恐らく、ふしぎ館最大の見所はこれだろう。
!マークの多さで乗り切ろうとしている気がしないでもないし、感動の押し売りという気もしなくはないが、とにかく前代未聞なのだ。
告白しておくと、私はストレートに感動してしまった。下手な写真のせいで伝わらずに惜しいのだが、とにかくデカい。デカさは人を感動させる。
さらに注目すべきは、レフェリーよろしく両者の間で文字通り顔を出しているこいつだ。
表情も含めて満点である。「トド」の表示もよい。ただ名前が書いてあるだけなのに、なぜ。
氷を突き破っているのは「太陽の季節」へのオマージュだろう。トドって、なんかそっちの象徴感あるし。
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アカデミックなキャプションの数々も私を喜ばせた。
「色々な方法で殺されている悲しい動物」
声に出して読みたい日本語である。
「色々な方法で殺されている」も「悲しい動物」も味わいが深すぎる。
「やっかい者扱い」「お肉」なども大変よいワードチョイスだ。
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「おどおどした表情が痛々しい」
急なディス。それは見方の問題だろう。どうしてクリップスプリンガーに厳しいのか。
確かに痛々しいかもしれない。頑張れ、クリップスプリンガー。応援してるぞ、クリップスプリンガー。
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ちなみにこの、ふしぎ館。元々は学校だったそうで3階建の建物だ。こちらが2階のフロア図である。
どう考えても部屋番号の振り方に違和感がある。
几帳面な私はもちろん順番通りに回ったが、9→10→11→12あたりのムーブは何かの冗談かと思った。
決まった順番で部屋を回らないとクリアできない面がファミコンなんかのゲームによくあったが、そういうことなのだろうか。パンドラの遺産の2面な。
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大満喫だった。ありがとう、ふしぎ館。
ふしぎ館でふしぎを満喫し、さあ銭湯と行きたいところだったが、残念な事実を記さねばならない。
津山に銭湯はない。
スーパー銭湯や温泉、銭湯をリノベーションしたカフェはある。でも私が欲しているのは、いわゆる街の銭湯なのだ。
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津山は都会ではない。
都市の規模と銭湯の寡多はある程度比例するだろうから、銭湯がなくても悲しいかな納得ではある。
でも銭湯の寡多は、都市の規模以上に、その文化や歴史に左右されるところが大きいのではと思う。
昨年訪ねた八戸に銭湯が多かったことは、それを示しているんじゃないだろうか。
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津山は都会ではないが、歴史ある場所だ。銭湯がとても似合う。でも、一軒もない。
津山だけでなく、日本中で銭湯は減少の一途を辿っている。悲しいことだ。でも、しゃあないよなとも思う。
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乱暴なやり方で特定の存在を脅かすことは絶対に許されない。
一方で、あるシステムにおいて、各々が自然に振る舞う中で消えて行く存在があったら、それはしゃあないのではと思う。淘汰というやつだ。
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守ることや残すことは、ある一面においては美しいし尊い。でも、そこに潜む催奇性に対しては自覚的であるべきだ。
学術的価値は別として、ふしぎ館の剥製たちが教えてくれたのは、時の流れが孕む暴力性と純粋性ではなかったか。
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仕方がないので、岡山へ向かうこととした。津山駅でローカル線に乗り込む。
駅にはこんな看板が。
B'zの稲葉さんは津山の出身である。
ZEROがいい ZEROになろうと唄ってはいたが、銭湯までゼロになることはないじゃないか!
もうまっしろ!
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つづく。
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