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札幌銭湯スタンプラリー2024のこと(その4・末広湯)

2024年7月9日、末広湯さんへ。
札幌銭湯スタンプラリー2024の4軒目。

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昨年と同様、業後に徒歩で向かった。およそ40分の道のりである。

私はよく歩く。
交通費をケチっているという側面はあるが、アルコールとニコチンを日々摂取している私にとっては、幾らか寿命を延ばすための手段でもある。

私は出来るだけ長生きをしたい。
なぜなら、たくさん酒を飲みたいし、たくさんタバコを吸いたいからだ。
もちろん、銭湯にもたくさん行きたい。

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スタンプ用紙と風呂道具を忍ばせた仕事カバンが程よく重い。意気揚々と大通公園を闊歩。初夏の風が心地よい。

さわやかな心持ちで20分ほど歩いたところだったろうか、私は歩みを止めた。

「もう歩けない!」

疲れた。暑い。キツい。

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体力の低下には、薄々だが感づいていた。

いつの間にか僕らも若いつもりが年をとったし、暗い話にばかりやたらくわしくなったもんだ。

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「ギブアップ?」
心のタイガー服部が私に声をかける。

「Ask him!チェックしろレフェリー!エーッ!」
心の蝶野が心のタイガー服部に怒鳴る。

「完全に極まってますねー」
心の柴田記者(東スポ)が心の辻よしなりに呟く。

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苦しい闘いだったが、私は無事に裏STFから逃れた。もとい、無事に未広湯へとたどり着いた。

いうまでもなくへロへ口であったが、故に湯もサウナも水風呂も、いつもより気持ちよかった。

辛い思いをしたあとの快感はブーストされる。罵詈雑言を山ほど浴びせた後に褒め倒すという、カルトなセミナーと同じ仕組みだ。

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繰り返すが、若いつもりが年をとった。

どこまでも歩けるとか、何時まででも飲めるとか、そんなことはもう無理なのだ。

じゃあ人生は年齢に比例してつまらなくなるのかというと、そんなことはない。
未広湯でよい塩梅になっている大先輩の笑顔が、その証拠だ。

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銭湯のよさは、入ってさえしまえば、老若男女すべてが理解できると私は確信している。
しかし実際の客層は「老」にかなり偏っている。

若者たちは他のことに忙しい。それはそうなのだろう。一方で、銭湯は年齢を重ねることでより魅力が理解でき、一層味わえるのかもしれない。

先輩方には及ばないが、私もある程度の年齢を重ねて
「この年になって更にわかってきたな!」
というものが少なくない。

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例えば味噌汁。若い頃も美味かったが、この年になって更に美味いと感じるようになった(特に豆腐)。

例えば赤ちゃん。若いころも可愛いと思っていたが、この年になって更に可愛いと感じるようになった。赤ちゃんを見かけただけで、なぜか泣きそうになることすらある。

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老いれば老いるほど、まだ気づいていない銭湯の魅力が見えてくるのかもしれない。末広湯に集う先輩方の笑顔が、その可能性を示唆している。

そうならば、歯を食いしばってでも生きる意味があるというものだ。

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いつの間にか僕らも若いつもりが年をとった。

それは、きっと、悪いことばかりではない。

すっかり機嫌がよくなった。
医王ラジウム風呂に浸かったら、思わず鼻歌が出た。

懐かしい歌だ。

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懐かしい歌も笑い顔もすべてを捨てて僕は生きてる、といえるような人間ではない。

でも、朝も夜も歌いながら時々ぼんやり考えることはある。

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4つめ。すばらしい日々だ。

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