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小伝馬にある十思湯のこと

昨年11月から12月にかけて東京に行きまくり、サッカーを観まくり、お笑いを観まくり、銭湯に入りまくった。

お邪魔した湯のひとつに十思湯がある。「じゅっし」でも「じゅうし」でもなく「じっし」と読む。「十手」が「じって」、「十返舎一九」が「じっぺんしゃいっく」なのと同じ仕組みだ。

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東京の銭湯といえば宮造りで、脱衣場の真ん中にドドンとロッカーがあって、天井が高くて…といった具合である。もちろんそうでない銭湯もたくさんあろうが、非都民のイメージする東京銭湯のスタンダードはそんな感じだ。

今回お邪魔した一連の湯もそうだった。
十思湯を除いては。

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十思湯。ちょっと変わった屋号は、その地にかつて存在した十思小学校に由来するという。

では、十思小学校はなぜその名前を冠せられたのかというと、当時の所在区画が十四だったことと、中国の歴史書「資治通鑑」にある「十思之疏(じっしのそ)」にちなんでいるという。

十思之疏というのは、天子が守るべき戒めみたいなものらしく、調べてみると「十分満足な時には、むしろ減らすようにすることを思う」(大意)とか割とよいことをいっている。

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十思湯は十思スクエア別館なる建物の中にある。恵比寿ガーデンプレイス、六本木ヒルズを引っ張りだすまでもなく、漢字地名+カタカナの建物はおしゃれビルと相場が決まっている。しかし十思スクエア別館は完全な、絵にかいたような公共施設であった。

金曜の21時過ぎに伺った。

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入口の公共施設感たるや。
味気ない飄々としたその佇まいが「税金で作られました」と語っている。とてもこの先に銭湯が待っているとは思えない。

公共施設感あふれる案内。特に一番上、なんちゃらポップ体だろう。ナイスフォントチョイス。いらすとやの挿絵があれば、より完璧だった。

入り口横には宿直室があり、中には守衛さん。もちろん公共グルーヴがビンビンに漂っていた。

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湯は2階にあるため、階段を使うこととした。
いかなる要素が公共施設の階段を公共施設の階段たらしめているのかはわからないが、その階段は完全に公共施設の階段だった。何をいっているんだろうとは我ながら思う。

少しだけ具体的にすると、私は学校の階段を思い出していた。
何が学校の階段を想起させたのかはやはりわからないが、夜の校舎に忍び込んだような不思議な高揚感があった。

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いよいよ暖簾の前にたどり着いた。ただただ「施設の一角」である。特に注目すべきは向かって右、この表示だ。

公共施設にしかないタイプの表示である。断言する。「小会議室」とか「研修室B」とかあるべきところに「十思場」とは。素敵すぎる。

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小枠な江戸の情緒はゼロ。ましてやここは日本橋である。日本橋の銭湯が江戸感ゼロなのだ。でも貶してはいけない。むしろ賛辞を送るべきである。

パブリックイメージ、固定観念への反発。つまり十思湯はロックンロールである。
そもそも、日本橋の銭湯なんだから風情があって然るべきという考えが間違っている。「男はこうあるべき」みたいな発想は前時代的だ。多様性の世で「べき」なんてダサい。

江戸感ゼロな日本橋の銭湯、陰気なメキシコ人、野球が嫌いな大阪桐蔭の学生。別によいじゃないか。

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番台というよりはフロントといったほうが適切な受付で、フロントというよりは番台といったほうが適切な紳士に料金を支払った。

宿直室横のエントランスから暖簾をくぐるまで誰ともすれ違わなかったのだが、脱衣場も洗い場もそこそこの賑わいだった。

平日の夜、この建物において機能している場所は恐らくここ(と宿直室)だけだろう。何か秘密を共有しているような、不思議な感覚に襲われた。

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十思湯の洗い場はシャンプー類が備え付けられており、カランには1つずつ仕切り板があった。外見だけでなく、中身も小粋な江戸の銭湯とは趣を異にしていた。もちろん、どっちがよいとか偉いとかではない。

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しっかり満喫し、支度を整えてホテルへ戻ることにした。

先ほどの学校階段を下り、何気なく入り口と逆サイドに目を向けると喫煙所があるではないか。

令和のこの時代に、公共の施設に、喫煙所が。さすがお江戸・日本橋である。火事と喧嘩とアメスピは江戸の華とはよくいったものだ。もちろん、使わせていただいた。

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喫煙所内の貼り紙である。なんというか、強い。「あなたは、どう思いますか?」といわれても。読点の使い方がテクニカル。

「喫煙に専念」というのも簡単そうで難しい。タバコを吸っているときはどうしたって考え事をしたり、スマホをいじったりしてしまう。「外でおやりください」も怖い。

もっとも、いちゃもんはつけたが湯上りにタバコを楽しめるのも「十思スクエア喫煙所の存続を求める会」のご尽力によるものだ。感謝しなくてはならない。ずいぶんと活動が限定的な会ではある。

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喫煙所の横には、この地にかつて存在したという小伝馬牢屋敷のちょっとした展示コーナーがあった。不勉強ゆえ、その存在を知らなかった私はしっかり学ばせていただいた。
「小伝馬ってバニーガールのバンドでしょ?」なんていっていた自分はもういない。

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なんともポップなラインナップである。ポップ囚人。

「この玄関先で行われました」じゃないのよ。発祥の地みたいに。怖いって。そもそも玄関先でそんなことすんな。

「思われます」じゃなくて絶対寒いって。「吹いて」でよいのに「吹きぬけて」にしているのも味わい深い。FLYING KIDSか。

海老責。字面から何となくイメージはできるが、それが正解なのかはわからない。そんな「お笑いウルトラクイズ」みたいなことが本当に行われていたのだろうか。

「海老責や釣責までいくのは稀」ってのもどうだろう。量刑は「いく」ものなのか。

もう全部怖い。怖い字、怖い単語、怖い文章。「有料で斬首」って。なんだそのオプション。

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ジオラマを前に「俺だったら、あそこの部屋がよいな」とか「脱獄するなら、まずはあの塀を…」とか考えた。大人なのに。

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ジオラマを眺めていると、宿直室から出てきた守衛さんが私を不思議そうに眺めていた。
中途半端に笑って会釈をした。

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湯にタバコに展示に大満足だった。

いけない。十分満足な時には、むしろ減らすようにすることを思わねば。

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