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空気階段第7回単独公演「ひかり」と鷹乃湯のこと

空気階段第7回単独公演「ひかり」に行った(5月18日昼公演。札幌は全3公演)。

エンタメのチケットが売れないことでおなじみの札幌である。好きなアーティストも芸人さんも、次々にツアーから札幌を外している(チョコプラ…)。
そんな札幌で3公演とはありがたい。

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会場の共済ホールはビルの6階にある。
開演時間が迫る中、ドアが閉まり始めたエレベーターに飛び乗ると、中には女子が4名。

こんなおっさんが駆け込んで来て迷惑だろうと思ったが、空気階段を愛する女子は寂しい中年男性に優しいはずだ。

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4名中2名は踊り場(空気階段がやっている教養バラエティ番組)のTシャツを着ていた。

「踊り場聴いてる女子っているんだ!」
と妙な感動があった。そりゃいるだろという話ではあるが。

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お笑いでも音楽でも、ライブと呼ばれる場に行くと
「この芸人(歌手)のことが好きな人、こんなにいるんだ~」
と嬉しくなる。
いや、嬉しいというのはちょっと違うかもしれない。じゃあ何なのかというと、わからない。あの感情の名前を知らない。

ポジティブなものには間違いないが「喜」「楽」ではない。やっぱり「嬉」が一番近いような気はする。

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何を面白いと思うかは当然に人それぞれで、その感性は各々が観たり聴いたり読んだりしたものによって育まれたはずだ。
なので「どういうお笑いが好きか」はそう単純でない。その感性は、文化的で重層的で個性的である。

それを踏まえ、自分と同じものを面白いと感じる人が老若男女たくさんいるという事実を目の当たりにすると、名を知らぬ感情がこみ上げる。

同じものを面白いと思う人たちと、時間や経験を共有する。素敵なことじゃないか。

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あの頃、溶け込めきれない教室の片隅で大事に育てた感性は、よい未来を運んできてくれた。

同時期「一人ごっつ」を見ながら「松本人志の笑いを本質的に理解しているのは俺くらいだろうな」と思ったりもしていたが、その感性は育たなくてよかった。

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両隣とも一人客で、落ち着いて楽しむことができた。

左隣が綺麗な女性だったので
「お笑いお好きなんですか?私も好きなんですよ。エル・カブキとか」
と声をかけることは当然できず、共済ホールを後にした。面白かった。

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帰り道、鷹乃湯さんへ寄った。
複数のお客さんが湯に浸かったり、身を清めたりしていた。

「銭湯のことが好きな人、こんなにいるんだ~」
とはならない。ならないからよい。

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どんなお笑いが好きかという感性は、観たり聴いたり読んだりしたもので育つ。
一方「銭湯が好き」という感性は、文化的でも重層的でも個性的でもない。もちろん、だからダメだとか、そういうことでは全くない。

「熱いお湯、たまらね〜!」
「広い湯船、きもち~!」

単純だ。さながらドリフのコント、あるいは吉本新喜劇だ。

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「どういうお笑いが好きか」という感性は文化的で重層的で個性的だけれど、中には強烈なパワーを持って、そんな個々の感性なんぞお構いなしといったお笑いもある。

空気階段のコントが面白くないという人は残念ながらいるだろうが、高木ブーの頭を直撃する金だらい、壁に激突する島田珠代は、恐らく誰をも笑わせる。
それらは「お湯あちー!」「湯船でけー!」と似ているように思う。

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何が偉いとかすごいとかではない。
少なくとも私は「クローゼット」も「もしもこんな寿司屋があったら」も笑う。

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久しぶりにYouTubeでドリフのコントを見るように、銭湯へ行く人が増えたらよいなと勝手に思いつつ、身体を拭いた。

ちなみに私が一番好きなドリフのコントは、いうまでもなく「もしもこんな銭湯があったら」だ。

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