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「海を飛ぶ夢」を見て

この記事は自分の映画を見た感想であり、ネタバレは一切含みません。

「海を飛ぶ夢」という映画を見ました。きっかけは宮台真司さんが青木理さんとの対談?を聞いてその中での尊厳死についての会話でこの映画の紹介があり興味を持ったということで、正直その話を聞く前までこの映画の存在は知りませんでした。

簡単にあらすじを説明すると事故により四肢麻痺となった主人公が安楽死を選び死を迎えるまでの道程を様々なバックグラウンドを持つ人たちの意見を交えて見ている側に語りかけるような映画です。

主人公との状況が類似している「世界一嫌いなあなたに」や最強のふたり」とはまた違った視点で「生」と「死」について考えさせられる映画で、自分が感じた一番の違いは四肢麻痺の主人公の考えを尊重しつつも主人公と関わりのあるたくさんの人の尊厳死に対する考えが繊細に語られていることだと見ていて思った。
見ているうちに主人公にではなくそのほかの登場人物たちに心を寄せ、同じように考えてしまっている自分がいました。


まず始めに私の尊厳死についての考え方は本人が望むのであれば叶えてあげるべきだというものだ。これに関しては当然「おまえは考えが浅い」や「そういうものを結論づけるにはまだまだ経験も知識も足りない」という人もいるだろうが自分なりによく考えた上での現在の考えだ。(一応言っておくがこれは「今、現在」 の考えでありこれからの体験や、誰かの話でこれは変わる可能性は十分にある。)
今現在、私の周りにそのような主張をする人はないし、この映画の主人公と身体的に同じ状況だという知り合いもいない。要するに自分の考えはこのような映画を見て、本を読んで自分で色々なケースを考え想像を膨らませるしかない。その中で、まず始めに私は私自身がこの映画の主人公と同じ状況になった時、自ら死を選ぶ可能性は十分に高い。正確に言えば同じようにそこに向けて戦うのではないだろうかと感じている。

このような問題はもっと活発に議論されてもいいことだと思っているが現在の日本で「生」と「死」について有益な議論を交わしているとは到底思えない。ここ20年でいえばほとんどの毎年多くて3万人を超え、少なくて2万人ほどの人が自殺で亡くなっているのにも関わらず、さらにほぼ毎年有名人とカテゴライズされる人が自殺しその報道によって世間の「生」と「死」に対する関心が上がる時期がある。が全く議論は活発にならず、まさにいっときのブームのようにまた別のニュースで埋もれていってしまっているように感じる。ほぼ毎年それの繰り返しではないか。
その話題に関心を持ち、だが議論は起きないという状況は「生」と「死」から一時的に逃れているだけでそれをフラットに考える機会を逃しているだけではないだろうか。自分はそんなこと知らないと言ったところで「死ぬ」ことからは絶対に逃れられないのだからそれについて考え、意見を出し合い、自分の答えを出すことがすごく重要ではないだろうか。
大切な人を予期せぬ事態で亡くし、そのあとに出てくる言葉が「私たちはあなたのことを忘れない。」や「私はそれを受け入れられない、どうして手を貸してあげれなかったのか。」という後悔やあまりに感情的な意見で終わってしまうことが次にまたそのようなことが起きる可能性を野放しにしているのではないか。さらにそれをネタとして煽るメディア。建設的な議論はどこにも起きる気配はない。あるのは「命の大切さと向き合うことができた」という定型文のみ。


尊厳死から自殺に話題が変わってしまったが尊厳死は広義で言えば自殺の一種だ。世の中に絶対はないという人がいる中で数少ない絶対である「人は知らない間に生まれてきていつか死んでしまう」というということに対してあまり語られていないということに正直驚きすら覚えている。そこを抜かして、戦争や貧困、差別などの多くの問題について深い議論ができるのだろうか。メディア関係者の方々には自殺や尊厳死を関心を引くネタとしてだけでなく是非、「生」と「死」に関する建設的な議論が行われる機会として取り上げていただきたいと切に願うばかりだ。


最後になるが、知らない間にこの世に生まれていたという事実を考えると死ぬ時ぐらい自分で選んでもいいのではないかと私は思うし、どうせなら自分の意思でそれを選びたいとポジティブに私は考えている。
世の中には答えが出ないことがたくさんある。だからこそそれらと向きあい、他人の意見も尊重するという前提で一人一人が自分自身で答えに近いものを持っておく必要があるのではないだろうか。

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