発達障害について

子育て中の友人や知人も多いので,一助になれば幸いです…

  環境活動家のグレタさんがアスペルガーだと話題になりました。日本語では一般に高機能自閉症と言われるそうです。

  僕自身は,子どもの頃からなんとなく周りについていけない感覚がありました。みんなが楽しんでいるものを楽しめないし,何が楽しいのかわからない。天邪鬼なんだろうなと思っていました。
  20代になると,意識をすれば空気を読んで周囲に合わせることもできるようになりました。でも,どう考えても合理的ではないこと(みんなが残業しているから残業とか…)は,空気を読めても無視してました。仕事は仕事。成果を出していれば関係ない…という感覚を隠しもしませんでした。
  20代半ばに渡米。30代後半に帰国してからは,空気を読んで自分の言動を調整して出すことができるようになりました。反感を買わない程度に周囲に合わせることが合理的という判断をするようになったのかもしれません。

  大学生の頃だったと思いますが,親に「あんたと話すと本と話しているみたい」と言われたことがあります。そのときには,「感性的ではなくて,論理的ということだな…」と理解してましたが,多分そういうことではないですね(笑)

  深い付き合いの友人や仕事関係の仲間には,高機能社会適応障害(アスペルガー )傾向があるよね…と言われますが,研究職にある人にはそれなりに多いのかもしれません。自認している人もそれなりにいるというのが実感です。

  思い立って週末にオンラインの簡易診断をしてみました。まぁ診断の信頼性は「超」がつくほどに眉唾ですけど,アスペルガーに加えてADHDにも該当してました(下記)。ただ,40代にもなると「そういうものとの付き合いかた」がわかるようになりました。子どもの頃の自分に伝えてあげたいなと思います。

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  思い返せば,通知表にもえらい書かれかたをしたものです。地頭はいいのに〜とか,しっかりしている時は素晴らしいのにそうでない時が多い〜とか。みんなと一緒という同調性が求められる学校教育時代は一番苦労しました。年齢集団とか教室集団とかに関わりなく,それぞれがそれぞれに学ぶ大学になってからは,学びも生活も,そして友人付き合いも本当に楽になりました。そして多様性を前提とするアメリカでの研究職時代はとっても楽でした。
  現在の(日本の)大学,特に教員養成課程では,入学年度や専攻単位でのカリキュラム展開と共同性が求められる傾向がありますので,学びづらい・生きづらい状態が大学にまで持ち込まれているかもしれません。企業のなかには同調圧力を抱えたままの職場も多いので,リセット機会がなくなっている可能性もありますね。この辺りは時間を作って調査してみたいなと思います。

  要するに考えるべきは,同調圧力や〈普通〉であることを無自覚に求める環境は,個々の多様性を押さえつける暴力となって生きづらさを作り出すこと。そして,そうした無自覚に強要される〈普通〉にどう応答するかということ。どの程度の生きづらさを感じるのかは個人差があるけど,〈普通〉に集約するのではなく,人はそれぞれ違うということを〈普通・あたりまえ〉と認識して,共に創る(共創)社会を支える公教育のあり方を追求することが必要ですね。

  子どもが〈普通じゃない〉と感じるならば,〈普通〉に合わせることを強いる代わりに,〈普通〉との付き合いかたを経験させてあげればいいと思う。

  そのためには,自分自身がもっている〈普通〉について考えてみるといい。その〈普通〉の感覚は,人を傷つけているのではないか。わが子を傷つけているのではないか。〈普通〉の人と〈普通じゃない〉人とのどちらかを押さえつけるのではなくて,共生するために何が求められるのだろうと考えることが必要だと思う。

  〈普通じゃないこと〉を問題にするのではなくて,〈違い〉との付き合いかたや,その活用のありかたを一緒に考えるのもいいね。可能なら,違いがあることを普通として認識する社会に移住するのも選択肢だと思います。いずれの場合でも,親であったり大人である私たち自身が一所懸命に学び続けないとならないことだと思います。

  変化の激しい時代では「みんなと一緒」ということは必ずしもいいことじゃないからね。

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