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戦争の記録を伝えることの意味~ヒロシマの記事を見て~

本日13日目の投稿です!

今日は、yahooで偶然目にした中國新聞デジタルのこの記事について。

ヒロシマの原爆で夫を失った女性の話。

これを読んで、私は祖母の戦争体験を思い出しました。
実際の体験話をリアルに聞いていたことは、ものすごく貴重なことだったのだなと思い、ここに留めておきたくなったのです。

戦争を実際に体験した人は、本当に少なくなっています。
でも、私が学生だった頃は、祖母をはじめ、祖母の兄妹、親戚の叔母さんなど、実際に経験した人がたくさんいました。
祖母も、うちの母も、子どもを産んだのが遅かったので、同級生の子たちの親&祖父母世代よりもけっこう年齢が上。
だからこそありがたいことに、私はそういった昔の話をごく自然に、聞くことができていました。

出兵までの幸せな約10年、それからの55年

祖母は20代前半で祖父と結婚。
「おじいちゃんはすっごくかっこよかったよー」と、話すときはいつでも愛情たっぷりでした。
写真を見る限り、確かにけっこうイケメン。
身内なのになんですが、スタイリッシュで賢そうなかんじ。

結婚してから、栃木から東京の江東区に出てきたそうです。
早く結婚したにも関わらず、10年近く子どもが授からなかった二人。

そのうち第二次世界大戦が始まって、多くの男性に召集令状が出されていく中、祖父はもともと肺が悪かったこともあって、声がかからなかったそうです。

それが、ついに赤紙が来てしまった。
「『必ず帰ってくるから』って、言ってったのよね…」
多くの人が必ず言っていたであろうこの言葉。
よく聞くフレーズですが、その一つ一つにものすごい重みとストーリーがあります。
出兵前にの家の前で親戚一同があつまって撮った家族写真は、みんななんともいえない表情。
当然ですよね。
ただ、その時の祖母の着物は色も柄もすごく素敵で…
仕立て直してもらって、今では私のお気に入りです。

子どもの姿を見られなかった祖父

運命のいたずらなのか、そうして戦地に出向いていった後に、子どもができたことがわかったそうです。つまりは、私の母。

祖母はたった一人で母を産み、そして祖父の帰りを待っていました。
祖父は、祖母からの手紙で出産を知り、会える日を楽しみにしていたといいます。

戦争下でひとりで妊娠生活を送り、そして出産をし、夫の帰りを待つ。
今となっては想像もできないけれど、それが現実だった時代があったということですよね。

いろいろな手紙や資料を昔一度見たことがあるのですが、そこには祖父が祖母を想う気持ちやこれからのこと、子どものことが書いてあったような気がします。

※これらは、前に靖国神社の「遊就館」に寄贈したような、まだ家のどこかに眠っているような…いまはもう誰も聞ける人がいないので、近々ちゃんと探しておきたいと思っています。

終戦になっても、祖父は帰ってこなかった

東京では、祖母の妹も近くに住んでいました。祖母が呼び寄せたそうです。
当然、妹の夫も出兵中だったので、協力しながら生活をしていたといいます。

そうしたある日、妹の夫がシベリア抑留から帰ってきたのです。
その時の祖母の妹は、喜びなんていうものではなかったと思います。
同時に、祖父の帰りを待っていた祖母の期待の高まりも、とても想像できるものではなかったと思うのです。
きっと帰ってきてくれる、大丈夫、そう思ったはずです。

でも、祖母のもとにきたのは、一緒に戦地にいたという方と祖父の戦死報告でした。

フィリピンのルソン島で、おそらくマラリアにかかって移動できなくなった。そのため、置いていかざるを得なかった、と。
祖父の形見のようなものはなにひとつなく、ただの紙切れ一枚。

どんな気持ちだったんでしょう。

冷静で気がしっかりしていて、取り乱すようなことは一切ない人でしたが、この話をするときは、必ずポロっと涙をこぼしながら語っていました。
「はっきりと亡くなったという証拠もないから、どこかで生きてたりするのかな…と、しばらくは思ってたわよ」と。

「もしかしたら、現地で生きてて別の人と結婚とかしてたりしてねー(笑)」というと、なぜかその発言に対してだけは結構本気で「そんなわけないわよ!」と怒られた記憶があります。

亡くなった証拠もない、戦地での形見もない、もちろん骨もない。
そんな中で、祖母は江東区に祖父のお墓を買いました。
「おじいちゃんと住んでたのが江東区でしょ。だからそこに何かお墓があれば頻繁に行くし、戻ってきたときに会えるかもしれないじゃない?」と。

「おじいちゃんはすごく子どもがすきだったのよ。だからあなたのお母さんにもすっごく会いたがってたし、もし孫がいるなんていったらすっごくかわいがってくれたと思うよ。本当に優しいひとだったから」

戦下を生き抜いたストーリー、その体験を大事にしていきたい

祖父がいなくなってから約55年。
戦後の混乱で女手ひとつで娘を育て、東京に家を買い、再婚もせず独り身で夫の存在を感じ続けながら生き抜いてきた明治の女性。

前日まで家で元気にしていて、ある日突然、胸が苦しいと病院へいき、ほんの数時間後でした。
「あなたたちに迷惑かけたくない、苦しまないでぽっくり逝きたいわぁ」が口癖だった祖母は、本当に周りにまったく迷惑をかけずに、90歳で祖父のもとに旅立っていきました。

その約10年後、私の母である祖母の娘もそちらに行き、お墓のなかで初めて家族全員がそろうことができたわけです。

たとえニュースに取り上げられなくても、戦争の裏に無数の家族のストーリーが存在しているということは、やっぱり忘れてほしくないし、忘れないべきだと思っています。

戦争の体験を知ること、考えることで、今をどう生きるか考えることにつながる。実際に、私は祖母からの話を聞いてきたことで、戦争をものすごく身近なものだととらえています。まったく経験もしていないし、かすってもないけれど、事実として刻まれているんですよね。

祖母の体験を私が継承することでなにか意味があればいい、そんな風にも思っているところです。

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