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私の話を聞いてください②

私は20代半ばの女。おそらくHSP。
去年「適応障害」の診断を受けて半年ほど休職をしている。


4月、とりあえず入社した。
この会社でやりたいこととか、これからの将来に対しての希望とか特になかった。期待値は0%だった。同期と仲良くしたいとも微塵も思っていなかったが、1人だけ気の合う子を見つけてとりあえず一安心した。

そして1番希望していなかったコールセンターに配属となった。最悪だった。気の合う同期ともバラバラになってしまい気持ちはひとりぼっちだった。

話が長くなってしまったが、コールセンター配属になってしまったことが適応障害の大きな要因だ。
恥ずかしい話、適応障害になる前から業務中に泣いてしまうことがしばしばあったが何とか毎日出勤した。同期が淡々と仕事をこなす中、私はバカ真面目でいちいち考えすぎていた。精神的にタフではない私は日々の業務に追われて疲弊していった。

誰にも相談できなかった。コールセンターで働いていることは家族にも彼氏にも仲の良い友達にも決して誰にも言ってこなかった。知名度のある大学卒でコールセンターは恥ずかしすぎるという気持ちがあったから。

次第に出勤は憂鬱になり、電車に乗るのも怖くなった。会社に着くなり涙が止まらなくなってしまった。
上司には「部署はすぐに移動できないけど違う仕事を与えるから毎日来たほうがいい」と言われたが、彼氏の勧めでメンタルクリニックに行き、適応障害と診断された。
病名がつき正式に精神疾患患者になってしまったことは悲しかったが、これでコールセンターかは離れられるかもしれないと思うと心が軽くなった。

そうして休職して今に至る。

希望持って入社したが想像と全然違った…とかよく聞く話だが、私の場合はその域まで行っていない。期待値0%で入社して低空飛行のままどん底まで落ちていった。だから、好きな企業に入れただけマシじゃんとは思う。(ごめんなさい、負け惜しみです。)

でも、総合職として働く友達みたいに大きな仕事をしているわけでも、沢山の残業をしているわけでもない。ぶっちゃけコールセンターは未経験でも始められるいわば敷居の低い職だ。これは甘えなのはわかっている。
でもやっぱり今でも、希望の業界で働いていたらとかせめてものコールセンターでなければ…と考える。人生違っていたのかもしれない。適応障害になっていなかったかもしれない。

私の心は弱いから、どっちにしろ適応障害になる運命だったのかもしれない。

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