私がフィルムカメラを続けるわけ
『なぜ、そんなに人のこと撮影してるの?』と母親に問われたことがある。
『カメラマンになりたいの?』と、友達から聞かれたこともある。
私の中で、この『なぜ?』に答える際、思い浮かぶ回答は1つだけである。
“カメラに移る、全ての人の人情や、彼らの持ってる雰囲気、その場の熱量や感覚を私の感じるままに表現したいから”
(あと、ちょっぴしの女の子みんな可愛く撮りたーいって気持ち)
もとはと言えば、友人がフィルムカメラを持っていて、彼の魅せる写真のどこか柔らかく、温かい写真が好きだった。
ただ、はじめは『へー、すごいね。綺麗だね。』程度。
この時はまさか自分がこんなにもフィルムカメラにのめり込むなんて考えてもいなかった。
そんなわたしが初めてフィルムカメラに触れたのは、大学1年の友達の誕生日会。
カメラを持っている友人を含め、4人で記念に海へとピクニックをしに行った
今でも忘れない2018年8月2日
衝撃だった。
なぜかわからないけど、
黄色くて、蒼い何かに包まれた。
自分が見てるものが
聴いている音が
触れる風が
感情と共にこんなにも鮮明に写真に写るのか...と
『なにをまたバカ言ってんだ下山』って思うでしょ?
そりゃそうよ。
実際、聴いてる音も、触れる風も写真を見ただけで分かるわけではない。
けれど、
絵や、映画、もちろん写真家さんたちの作品を見て、情景や作品を制作する時の作者の気持ち、環境を想像することが好きな私が、
唯一"自分が精一杯、表現できるものなのではないか"と感じたのだ。
(ほら、もう今にでも寒い〜!美味しい〜!幸せ〜って、聞こえてきそう)
だから、わたしはフィルムカメラを握るし、人を撮る。
人の素晴らしさや、尊さ、その人の持つ色をもっと、もっと表現したいから。
まだまだ勉強中だけれど、
撮影している瞬間は毎度、黄色の情調に溺れそうになるし、居心地が良すぎて、そこから出られないんじゃないかって思う時がある。
レンズ越しの空間に時折、涙が出そうになる時だってあるし、
"このままこうしていたい"って切望する。
カメラ屋さんに現像しに行くと決めた時から手元のデータを見るまでのワクワク。
それは、駄菓子屋さんに売っている、シール付きのお菓子を開ける時の何が入っているかわからない
あの、ハラハラ、ドキドキする感情に似てて、いつまで経っても愛おしい。
(おかえり私のデータ〜って我が子のように思う)
カメラを通して、未だ出会ったことのない素敵な人たちに出会えることもうれしい。
もちろん、好きなことが評価をされることはとても嬉しことだけれど
なにより大好きな人たちと大好きなことをしているから、
『あみの写真がすきだよ』って言ってもらえることが嬉しい。
こんなに好きになれるものに出会わせてくれた友だちに感謝だし、表現するきっかけをくれたmuseにも感謝。
結局、理由はどこまで行っても、大好きなことを大切な人たちとしてるからなのかもしれない。
こうやって、癖になっていくんだなぁ。
この場を借りて、友人たちにいつもありがとうと伝えさせていただきます。
Instagram: plz_shit
作品は#晏撮でインスタグラムで投稿しております。
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