見出し画像

夫とのバトルを通して観えてくるもの〜私の中に潜在的にあったもの〜

夫が私がこれからやろうとしていることに、先週から強硬に反対してきました。


今までも、エネルギー多め(笑)の私たち夫婦は当然バトルがあったのですが、ピンポイントに、ここまで私のやろうとすることに時間とエネルギーを使って、強く物申してきたのははじめてかもしれない、と感じていました。


私が似たようなことを何度も繰り返しているから、それだけ私が心配だからだ、よくないことが起きてはいけないからだと言い、これって何か知ってる感覚だなと思ったら、父と過去、こんなことの繰り返しだった、と思い出しました。


心配してとめようとするあまり、私に対して否定的な言葉のオンパレードになります。


私は反対されること以上に、自分に対する否定的な言葉に傷つきます。


そうでした。

父も兄たちがバックパッカーのような海外旅行をしようが、真夜中に飲み過ぎてグタグタになって帰ってこようが、多少のトラブルは、基本男はしょうがない。


たった1人の女の子の私のみ、すごく制約されているように感じたものでした。


何というか、女の子は家にいて、大人しい良い子であれ、清く正しく間違いがあってはいけない、みたいなエネルギーを、父だけでなく家族全員から感じていたように思いました。


何となく夫にも似たものを感じます。


夫は学びのためと言って、あなたは高額のお金を使ってやり過ぎだ、もう学ぶ必要ないだろう、普通に遊ぶ方がよほどいい、と言います。


言っていることはとてもよくわかります。


20代から内観研修所に行くたびに、家族、職場の人も、そんなことにお金や貴重な長期休みの時間を使うなら、海外旅行やディズニーランドでも行って遊んできたら、とよく言っていました。


が、私は海外に、ディズニーランドに遊びに行くことより、自分を深く見つめたい!がまさっていたので繰り返していました。


だからこそ、私のやっていること、やりたいことはマイナー、大多数の人が考えたりやることではない、という自覚はありました。


が、ある程度、そこを夫は理解しているというか、理解しなくてもやらせておけ、なのかと思いきや、いい加減学ぶのはもうやめろ、と言ってきました。


学んでばかりで行動ができなければ意味がない。


知識ばかり入れてもしょうがない。


一般的にもよく言われる言葉で、私も自覚があります。


ただそうとも言えない、とも感じます。


純粋に私は学ぶことが好き、知的好奇心を満たし、探求していくことに私の心は喜び、ワクワクする。


仲間がいてシェアしたり、さらに行動も促し合って応援しあえれば、さらに嬉しい。


夫が高い、というのも本当ですがブランドのバッグや洋服、海外旅行に行くと思えば普通の値段。


それが家でzoomで話したり聞いたり書いたりしているだけで、物質的に目に見えるものが何もないのに、そんなにお金がかかるのか!!と感じる。


どこに価値を感じるかが、私は大多数の人とちょっと違うのかもしれない、という思いはずっとあったようにも感じます。


ただそれらの周囲の心配の意見は、私が他人軸で依存ありきできた過去があるからもっともだろう、と感じます。


が、もうそういう自分の姿が分かるようになったから学びがいらないということもなく、知らないことを知りたい、まだ見えてないことが見えるようになりたい、意識を拡大していきたい、はずっと持ち続ける欲求に思えます。


周囲と調和しつつ、でも自分を引っ込めることはなく、相手の意見を聴き、自分の意見もはっきり言う。

簡単なようでいて難しい。

ネガティブな言葉が降りかかると、咄嗟に不快さからネガティブな言葉で相手をやり込めそうになってしまったり(笑)


やり返しても、言葉で勝ってしまっても一時期的な快楽にしかならず、むしろ関係性は悪化する。


言葉は凶器にも利器にもなる、


を心して、慎重に話し合いたいと思います。


そしてバトルを通して、自分が潜在的に持っていたもの、願いや思いがみえ隠れしています。


すべて起きていることは自分の内側にあることが顕在化している、と改めて感じています。


お読みいただきありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?