私に与えられていた痛みが本来の場所に還る


今日、私の原家族から、私に与えられていた痛みが、あー、元の場所に還った、と何とも言えない安堵感を味わいました。


やっと原家族から与えられてきた蔑み、から解放された気分になりました。

私が3年前に再婚してから、兄弟の中のひとりの兄と、その妻との関係がうまくいかなくなりました。


その兄がなぜか私に怒る。

理由が私には分からない。

兄の妻が私に怒っている、とか、私が兄の妻を傷つけた、とか、おまえのことが好きじゃない、とか。

贈り物をしても無視されたり、何かいつもトゲトゲしい雰囲気だけは、はっきり私に伝わります。

私が、何か彼女にした過失の分かりやすい具体例がひとつもなく、兄の言っていることが見当がつかない。

連絡だって、もともとたましかしない。

何をそんなに嫌がるのだろうか?

が、分かるのは、ひとつだけ。

私の幸せが面白くない。

私が、健全に豊かに繁栄していくのが気に入らない。

私が病んでいるときほど、彼女は私に饒舌でした。

そう、彼女の中では、彼女が上。

病んできた夫の妹である私は下。

実際、兄と私の関係は長い間そんな感じだったのでしょう。

兄は妹の私をおまえ、と言い、蔑む言葉を平気で言う。

が、私自身、その立ち位置が、原家族では当たり前過ぎてそんなものだ、と見過ごしてきました。

が、私の自我が育ち、健全になっていくプロセスで、あれ?この人たち、私に良いこと言っことないな。なんで、こんな上から目線の言い方なんだろう、私を、大事にする人たちではない、とはっきりと違和感を持つようになります。

そして、段々に、彼らがいかに、防衛の強い人たちで、自立しておらず、だからこそ、誰とでも共依存の関係を作ろうとするか、被害者であるか、が見えてきます。

私自身が長い間、共依存で、被害者で、だからこそ、マウントしてくる彼らと、私はマウントされて当然です、だって私はダメですから、のかつての私のやり方は、ピッタリその関係にフィットしていました。

が、私がこつこつとセラピーを実践していくうち、自我が構築され、自尊心が育ち、境界線が育ったことで、兄に、

あなたの言っていることはおかしい。
私はあなたの妻に何もしていない。
あなたたちの内側の心の問題であって、あなたたちに蔑まれる理由はない。

とNOを突きつけた途端、兄の妻は私を罵倒し、兄は私と断絶しました。

こんなに、簡単に、兄弟が断然するんだ、ととてもびっくりしました。

また、人から、しかも女性からこれほど、激しく罵倒されたことはなく、しばらくショックで、平静を取り戻すのに、とても苦労しました。

夢にも出てくるほどでした。


が、冷静になるほどに、私が罪悪感を感じる必要はない、自我のレベルではなく、高次のレベルでは、全く私が相手にすることではない、静観するべき、彼ら自身のエゴの問題だ、という理解もありました。

が、私もまだまだ未熟なので、親の世話をするときに、兄たちはやり散らかしてるだけで、私だけが、いろいろやってきた、報われない、という怒りや嘆きの感情もいつもありました。

が、両親がコロナに罹り、食料や生活用品を届けた次の日の今日、母から

私は〇〇(兄)に言うべきことを言わないといけない。
あなたばかりに、頼ってしまうのはやはりおかしい。
これは、私が死ぬまでにやることだ、と感じている、と言い、

自分たちに何かあったとき、ちゃんと兄夫婦にも、報告する、と言う。

そして、兄夫婦と連絡を取るなかで
父が、兄にはじめて

なんで〇〇は意見が何もないんだ。
自分の意見を言え、と怒り、

兄の妻にはじめて、

あなたおかしいよ。
家で、娘を怒鳴り散らして、もう帰る!と大騒ぎして、謝罪の言葉も誰にもなく、あまりにやっていることが子どもっぽいと思わないのか、と言った、と言う。

兄は何も言わないが、兄の妻は、いろいろ反論してきたらしい。

あー、やっと、本来の場所に、問題が、我が家の痛みが戻った、と、私はなんだか肩の荷が降りました。

もともと私と同じように、感情を抑圧されてきた兄は自分の感情を適切に扱えない。
そのフラストレーションを、1番弱い年下の私に兄は下ろしていただけでした。

それが、わかっているので、私は兄にもっと自分の感情を大事にし、それを外に出せるようになってほしい、と願っていますが、まだできていない。

そういう兄と、コントロールと共依存の世界しか知らない兄の妻は、兄をひたすらコントロールし、兄はひたすらコントロールされる側でした。

彼らも、傷ついたままの子どもの状態で、大人をしていました。

彼らはまだ何も自分たちの姿に気づいていないけれど、私は、気づかないでいる、誤魔化せないほど、病んできた、でも、だからこそ、成長するしかない、努力してこれた、とも言えます。

私がもっと成長し、私からもっとエゴがなくなっていけば、彼らをただ慈愛の目で見れるのでしょう。

まだ、そのレベルにはいきませんが、ずいぶん距離を持って、遠くの景色、を観るように、彼らの状況を観ることができるようになっています。

自分が生きやすくなるとは、いかに自分からいらないものを出し、クリアにしていくか、といよいよ感じます。

何か、家族関係、人との関係性がうまくいかない、と感じている方のヒントになれば、と書きました。

あらゆる方が生きやすく、健全な関係で人と繋がれることを願います。

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