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自分に集中する〜みなそれぞれが完璧な存在〜


自分に集中する。


生きていく上でとても大切なことなのに、意外と難しいな、と感じます。


〇〇が気にくわない、
なんでアイツはああなのか、
〇〇さんの行動はどうなの?


人の中で生きていると雑音が聞こえたり、私自身があれ?と人の言動や態度に違和感を感じ、気になってしまうこともあります。


が、本当はやるべきことは自分自身に集中する、これしかない、と感じています。


それが自立するということなのだ、と。


人が気になるとき、大体自分に集中していないときです。


他者が気になり、人をコントロールしたくなるとき、依存状態にあるとも言えます。


自分のやるべきこと=自立をしていたら他者は気にならなくなります。


かつての私は自分がなく、境界線が薄く、あらゆる人と共依存関係になりやすかったので、強くいい放つ言動をする人がいると、ああそうか、とすぐその人の意向を自分の中にすっぽり取り入れ、その人の発言がすべてかのように従っていました。


が、セラピーで自我ワークに取り組み、自我が育ってくるほどに、自分の中にある思いに気づき、それを感じ取れるようになっていきました。 

そして、そちらの方を大事にしていい、それこそが自分であり、自分を大事にすることなのだと、時間をかけて掴めるようになった、と感じています。


そうすると、外からああしたほうがいい、こうしたほうがいいと言ってくる人がいても、あなたの意見はそうなんですね、でも私はこれなんです、とそれを口にしなくても、他者の意見と自分の意見を別のものとして認識できるようになりました。

人の意見にすぐ従うことは素直でいいことのように見えます。

が、腹の底から本当だね、教えてくれてありがとう、と思えるときはそれでいいのですが、自分の腹の声を感じ取る力が育っていないだけの場合、自分の中で本当は不一致を起こしているので、どこかで負担がかかっています。


それが身体に出たり、無意識にその人をどこかで恐れたり、怒りを感じたりしています。


そうすると、自分の中での不一致なのに、対象が他者に矛先が変わってしまい、人間関係が難しくなったり、物事が複雑化していきます。


自分をしっかり感じ取り、その自分の意向を大事にして動いていると、周囲に他者はいるけれど、他者と複雑に絡み合うことなく、自己一致しているので、物事がシンプルで軽やかに進みます。


他者と複雑な関係になりません。


大体私が人間関係で嫌な思いをしたり、難しい、と感じるとき、自分の中の不一致からきていた、と感じます。


そもそも私の腹の声と私の行動(〇〇すべき、〇〇なんて言えない)が不一致なので、自分自身が混乱しています。


振り返ると大概そういうときに、ネガティブな物事が起きていた、と感じます。


ですから自己一致に集中していれば、他者をジャッジする必要性もないのだと感じます。


自分と違う考えや行動をする人がいるのは、顔が違うのと同じように、違い、として認めるだけで、合わない、居心地が悪いと感じるならば静かに離れていくのが自然なのだろう、と感じます。


家族や会社など、そう簡単に離れられない場所でこそ、いろいろな問題が起こるのだと思いますが、自立していれば、精神的には離れているのでそこまで複雑化しないのだろう、と感じます。


私が素敵だな、と思うご夫婦の在り方などが、お互い驚くほど自立していると感じるとき、私たち夫婦はそこまで自立していないのだな、と感じ取ったりします。


それもジャッジしたり卑下したりする必要はなく、私が私に集中するほどにそのような成長を遂げるのだろう、と。


そもそも私たちはみな完璧な存在です。

自分の足りないところを感じているとき、同じように他者にも足りないところに目がいき、ジャッジしています。


自分がフォーカスしているところが世界にもフォーカスしています。


自分の素晴らしさを認めると他者の素晴らしさが目に飛び込んできます。


世界は自分が観たいように観ているのだ、と。

あなたの観たい世界はどんな世界でしょうか

私は愛に溢れた世界を観たい、と日々感じています。

お読みいただきありがとうございます。


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