嫉妬と向き合う〜私は何を欲していたのだろうか〜
昨夜、夫と夕食から長い時間議論して興奮した私は、食べ過ぎと話し過ぎて空気をたくさん呑み込み落ち着かず、久しぶりに胸焼けで苦しむ眠れぬ夜を過ごしました。
これは嫉妬、羨ましい、という私の感情からきていると感じました。
「これからは若い女性もどんどんうちの会社もつかっていきたい。
JALだって女性の社長なんだから。
女性が活躍する時代だ。」
そう意気揚々と気持ちよく話す夫に私は違和感を感じて聞いていたあと、
「あなたはそう言うけれど、我が家の家事は何もせず、よその女性に対しては素晴らしい言動が多いけれど、目の前の妻の私に協力的だとは思えない。」
咄嗟に言い返している私がいました。
それは夫が、「今いる女性には機材を持ったりはしてもらわなくていい。代わりに他のことをやればいいんだから。」と発言してからでした。
女性には女性にしかできない他の役割がある。
だから重い機材は持つ必要はない、と。
私の心がざわっとしました。
確かに私も、これは腰が抜ける、と思うくらいの重い機材は男性に持ってもらっていましたが、頑張って持てる機材を持つのは当たり前と思っていました。
もっと言うと、今私がジムに行って筋トレを精力的にしているのは、重い機材を持てない私では会社に行ったときに役に立たないから、夫の会社で働くときに少しでも重いものを持てるように、という気持ちもありました。
「今まで手伝ったとき、私はできるだけ何でも他のエンジニアと一緒に持ってきたよ。」
「それはあなたなら持てると他の人が判断したからでしょ(笑)今いる子は持てそうにないよ。というか何も無理して持つ必要はない。他のエンジニアもそう言っているよ。」
そう、私と一緒に働いた女性で、私は機材を持っていても彼女は持っていないと感じことがありました。
私もそのときは華奢だしね、と思いました。
でも、薄らモヤっとしている自分も、実ははっきり感じていました。
そう、私は彼女に罪悪感を感じてもらうことを期待していたのです。
持たなくてごめんなさいね、という態度だけでも見せて欲しかったのだと思います。
はあ、なんと私は罪悪感を抱えているのか。
何と面倒な女だろうか。
私は自分が反応していることにため息をつくと同時に、すごく傷ついたまま頑張ってきたんだなあ、と自分にハグをしてあげたい気持ちになりました。
これは彼女の問題ではなく私自身の問題でした。
私には大きな罪悪感があり、また本来は他の人と全く同等の仕事をしなければならない、それでなくても本当のエンジニアではない、忙しいときだけの手伝いなのだから、できる限り役に立たないと、という私の中の強い制限、思い込みで仕事をしていました。
実際、私は介護の現場、図書館の仕事で自分の腕力不足を常に感じながら、腰や腕を痛めては鍼やマッサージに通い、身体をなだめながら何とか働いてきていました。
要は、華奢で体力腕力のない自分にバツをつけているからこそ、自分に無理をさせる生き方が私のデフォルトだったのです。
そのデフォルトが少しずつ緩み、私には持てない機材は男性に任せる、がサッできるようになった時点で、私は変わったと感じていたのです。
がまだまだ罪悪感がありました。
だからこそ、はなから持つ気がない女性をみて、罪悪感を感じなさいよ、と私の自我(エゴ)は反応して叫んでいたわけです。
私はそうして守ってもらう、甘えたり頼ったりするのがデフォルトの女性に、嫉妬をしていたのだ、と気づきました。
一体どれだけ私は、
守ってもらえない、
甘えてはいけない、
頼ってはいけない、
と自分に禁止をしていたことか。
私が本当に欲していたのは、
守ってもらえること、
甘えられること、
頼れること、
これをずっと内側に抑え込んで生きてきたのだとつくづく感じてます。
私は1回目の結婚で見事にこれをひとつもできずに破綻し、今の結婚でずいぶんできるようになった、と我ながら感心していました。
でもまだ足りていないのだ、と気づきました。
もっと当たり前のごとく、軽やかに人に甘えたり、頼ったり、守ってもらうことを許可し、何よりこの罪悪感を手放せれば、私の行動力、人生そのものが加速していくのでしょう。
嫉妬は何を自分が欲しているのかに気づくための大切なお知らせであり、忌み嫌うものではないのだと感じます。
私のこの気づきと体験がどなたかの何かのヒントになれば嬉しいです。
お読みいただきありがとうございます。
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