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他者への理解が進むと、自分の呼吸が深く楽になる。

昨日、以前から読みたかった『経営者の孤独』を購入し、夜遅くまで読み進めました。

まだこの本に掲載されていたすべての経営者の方を読み終わってはいないのですが、感慨深い文章の数々に、忘れないうちに記録をしておこうと綴っています。


話しは逸れますが、一昨日夫が、「あなたはもっと社会と接して、社会貢献した方がいい。外で人の役に立ってきなさいよ。あなたは家で1人だけで黙々と仕事ができるタイプじゃないでしょ。なかなか行動できないなら、外で誰かの役に立った方がいい。」と言って朝会社に行き、それから、その夫の言葉が私の胸の中をずっとリフレインしていました。

夫の言うことは正しい。

が、私の中で、言い返したい気持ちもありました。

生活はできないけれど、全く稼いでいないわけではない。

お金にはなっていないけれど、友達のビジネスのクライアント役をやったり、私もセッションさせてもらったり、人と人を繋ぐ橋渡しをしたり、夫の会社で雑用だけれどアルバイトをしたり。

全く何もしてないわけではないのに。。。と思う気持ちもありました。

が、昨夜この本を読んでいて、経営者の夫からみて、私のやっていることはお遊び程度にしかみえない。それは当然かも、と深く理解ができるようになりました。

本の1番はじめにインタビューされている、経営者の柳下恭平さんという方が、自分で仕事を初めたとき、300万〜400万くらいのコピー機がどうしても必要で、リース契約して、連帯保証人で自分の名前と実印のハンコを押した、それが自分が社長になった瞬間だった、と書いてあった文章を読んだとき、私は深くため息をつきました。


会社に行くと当たり前ですが、すべての会社の備品、機材、車、あらゆる契約すべき書類の名前には、夫の名前が書いてあります。


どんな契約書類も最後は夫の名前ということは、会社で起きること、起きるかもしれない予期せぬこと、良いことも悪いことも、すべての責任は夫が取ることになります。

頭では分かった気になっていましたが、経営者の方々の、社員と本当には友達になれない、パブリックとプライベートが分けられない、正気を保つために心に鍵をかけているのかもしれないなど、「孤独」を媒体にして話していくすべての言葉が、普段の夫の姿と重なりました。

「リスクに備える」「そうじゃないと経営なんてできない」という経営者の方たちの言葉も、本の中だけでなく、夫の口からもよく飛び出す言葉でした。

私が会社にいて感じたことを良かれと思って何か言うと、だったらあなたが経営をしてみなさいよ、と怒るときもありました。

夫の置かれた立場からみれば、私は責任のないところから会社をみて、何かを言うのだから、そう怒りたくもなるだろう、と、とても感じます。

が、夫を傍で見てその責任の重さを感じればこそ、これは言った方がいい、ということは怒るのを承知で敢えて言ってきた、ということもあり、これが難しいと思うところです。

翻って私は、大きなリスクを背負うわけでもない場所で、怖いと小さく動くか立ちどまり、会社で雑用をこなす私に、私のことを思えばこそ、もっと外に出ろ、と夫が言いたくなるのは当然かもしれない、と思います。


どちらにしても、私はこの本を読み出したことで、夫の理解が進んだだけでなく、いろいろな立場の人が世の中にはいて、みな置かれた立場によって、物の見え方は180度変わってくる、そのことをいつも忘れないでおこう、と思いました。


それと同時に、経営者目線というのは、どこにいても、どんな組織にいても、物事を観ていくのに大切に感じるので、経営者でなくても、その目線は私も持っていたい、とも感じました。


他者の理解が進むほどに、何より私自身の呼吸が深く楽になる、を体感しました。


自己理解→他者理解


自己理解で足踏みせず、もっと広い世界に飛び出していきたい、とより思う契機にもなりました。


働く人、すべての方がこの本を読んでみたら、夫のこと、妻のこと、親、兄弟のこと、自分の身近な上司や経営者など、あらゆる自分の周りで働いてきた人、働いている人への理解がおよび、より良好に他者を観ることができるのではないか、と感じます。


今日もお読みいただきありがとうございます。

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