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周囲と不協和音を起こすほど、自分の人生が開けていく


このタイトルだけを読むと、

周囲と調和し、周りの人と上手くやるから人生がうまくいくんじゃないの?

という方もいるかもしれません。

が、私が、本来の私らしく振る舞うようになってから、そこには必ずと言っていいほど、それまでのこれが常識的だ、周囲を気遣うやり方だ、と思いこんできた私と、周囲との関係に、不協和音が生まれます。


私のセラピストのテーチャーが、最近のニュースレターの中で、


私たちが、自分を生きる時、外部との不協和音はつきものです。

むしろ、不協和音避けて通れません。

だからと言って、それがいつも傷つくようなとげとげしさである必要ありません。

と書いていました。

まさに!!

私も本当に日々体感しているし、今も真っ只中だ、と膝を打ちたい衝動にかられるほど、共感しました。


結果的には、いずれは良い方向に進んでいくのですが、そこにいくまで、それまでの私とは違うやり方に、周囲からは自動的に反発が、衝突が、対立が起きたりします。

短期的には嫌な気持ちになるし、相手の言うことを聞いて従っている方が、流れとしては楽です。


また、人は、今までのやり方、ではない行いを周囲の誰かがするとき、すんなり私は柔軟に受け取れます、というほど、器用ではない、変化に弱い、不安の強い動物なのかもしれません。


今日、私は夫の会社に行きましたが、そこでとった私の行動は、夫にとっては好ましくない、できればやめてほしい、面倒なもの、でした。


かつての私だったら不穏な、相手の機嫌を損ねた、と感じた瞬間、自動的に自分の行動、意見を引っ込めていました。


が、今は、夫を不機嫌にさせても、これは短期的な痛みであって、いつかよい方向にいくはずだ、という私なりの意志が伴っているので、行動にうつせます。


これは私のエゴからではなく、いつか、周りの人みんなとって良い方向に繋がる架け橋になるはずだ、という、自分を信頼する気持ち、自己信頼が育ってきているからです。

今、周囲から反発されても、白い目で見られたとしても、いつか良い方向にいくときがくる、という私自身の自己信頼。


それらがないと、周囲に屈して、私は私の意志を通せない、と思います。


もっと言うと、その先の結果は、所詮私の問題の範疇ではなく、その上の、神の、見えない領域でのこと。


私の中に、私のエゴではなく、もっと純粋な、善から動いている、という確信さえあれば、投げやりな気持ちではなく、もっと大きな存在に、世界に委ねている、という心持ちでいます。


私は、神ではありませんから、まだ投影を起こしたり、私の奥底に、いろんな矛盾や怒り、哀しみを抱えていると思います。


が、自分の選択、判断をこれで良い、Goと、早くに決断できるとき、セラピーを通して、心の中のいらないガラクタが減ってきているのだ、も体感しています。


ガラクタが減るほどに、心の中にスペースができ、決断が早く、迷いがなくなっています。


かつての私の心はガラクタがいっぱいで、葛藤と混乱の只中にいました。


そうは言っても、未知なる道、今までとは違うやり方、決断をするとき、勇気、と、エネルギーは使います。


が、そうして、小さなひとつ、ひとつの決断を勇気を持って、かつてとは違う決断、行動をしていくとき、私は自己一致し、葛藤のない決断なので、意外に疲れは後に残しません。


周囲に気遣い、いい人をやっているとき、私は四六時中疲れていました。


自己一致している人のそばにいるとき、周囲も軽く、爽やかな気持ち、でいられます。


この世界が、みんな自分と仲良しで、自己一致するとき、何か特別なことをしなくても、みなが軽く、明るい気持ち、幸せな気持ちでいられるのではないか、と感じます。


そんな世界が体現されていくよう、願い続けています。

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