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すべては私が覚醒するために起きたこと。
ネガティブなことが起きるときって、自分の、他人の見たくない部分が炙り出されます。
これって私が覚醒するために起きていたんだなあ、と並木良和さんの最近の著書などを読んでいて、とても納得することがありました。
眠っているときは自分の痛みに気づかず、他者のせいにしたり自分を責めたり、とにかく、嫌なことが起きた、としか思えません。
でも、覚醒したいと思っていたら、自分の中の痛みや見たくない部分を意識的に吐き出し、手放すためにこそ起きたんだ、ということがよくよく分かります。
私は今より一歩でも成長したいと思い、そのために生きている、と言っても過言ではありません。
気づいたときには生きづらい、があったので、そのような目標にならざる得なかったのかもしれません。
いずれにしろ、ぶれたり揺れたりしながらも、そこだけは一貫しています。
自分の成長のために必要だから、ネガティブな事柄が起きるんだ、ということが心底腑に落ちると、あっ、すべてがそうだったな、と気づきます。
人よりうまく立ち回れない、と思ったらならば、そこにこそ私の痛みの鍵があり、そこを見ていけばこそギフトになるんだ、と感じます。
自分を否定していると、自分を否定してくる同じ波長の人が近づき、堂々としているとそういう人は近づかない。
類は友を呼ぶ
ならば、どう考えてもまずは自分を大好きになり、同じような人と過ごす方が気持ちがいいわけです。
私は若いときこそこのことに全く気づかず、私と同じように自分が嫌いな人と波長が合っていました。
大学時代私より歳下で仲良くなった女性が、かなりな美人で頭も気立てもいいのに、胃潰瘍になったり、自分に自信がなくて、あれ?と感じる男性と付き合ったりするのはなぜだろう?といつも不思議に思っていました。
彼女の本質と彼女の身の回りで起きる現実に何か違和感を感じていました。
それこそが本来の彼女を生きていないズレだったのだ、と今なら分かります。
自分を嫌うあまり、彼女が本来持っていた良きものを認めず、自分から閉ざしていたからだ、と。
でも、私は自分も自信がないからこそ、そういう女性といると安心するし波長が合うわけです。
堂々としている人といると、なんとなく怯えていたように思います。
そういう人が家族の中にいなかったので、親しみがないのです。
自信がない人たちこそ、馴染みがあり安心するのです。
で自分好きな人となかなか親しくはなれなかったのが、今なら分かります。
でも最近はかつての私に比べるとずっと自分好きな人と知り合い、一緒にいることが心地よい、気持ちが良いと感じるようになりました。
でもまだ足りない、あと1押しの私の自信のなさが、ネガティブな物事をいつも引き起こしていた、と気づきます。
外側で起きる現象は心の内側の反映
分かっている、と思っていたことが今こそ、しっかりと肚落ちしているこの頃です。
なので、改めて書き綴りました。
お読みいただき、ありがとうございます。
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