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富永愛さんが語る言葉=私がセラピープロセスで感じてきたことと、同じだった

昨日、富永愛さんがYouTubeで語っている番組を見て、共感、納得の嵐で、頷くことばかりだったので、熱を込めてご紹介したくなりました。

日本では、いまだ女性とは、可愛くて、小さくて、保護される存在、として求められているけれど、トップモデルの世界や海外では逆である、という話しから、日本というより、我が家、私が育った環境がまさにだ!と感じながら聞いていました。

祖母や母は、女は男性に従っていればいい、黙っていればいい、意志を持たない女性、を体現していたし、私の親戚の叔母さん、祖母たち、近しい女性、モデルとして私が見てきた女性は、全員専業主婦。

私の周囲に意志を持ち、あらゆる意味で自立した女性、はいませんでした。

同じような女性像にならないといけない、と無意識に感情を抑圧し、感情的なケアをされないで育ってきた私が、セラピープロセスで、自ら育ててきたものは、私自身の意志を持つこと、堂々と個を生きていくこと、と言えます。


なので、スケールは全く違いますが、富永愛さんが自分でトップモデルを継続しながら育ててきたものは、日本人として、女性として、自分の個を、強い意志をいかに打ち出し、そのときどきの美をいかに体現するか、を切磋琢磨してきたのではないか、と思いました。


私は身長が170センチほどありますが、私の人生前半は、ずっと無意識に猫背でした。

似たような身長の兄、を抜いてはいけない、偉そうにしてはいけない、こんな私が上から見下ろす形になっては大変だ、私はダメな人なんだから、という自信のなさ、意味のない周囲への気遣いが、猫背をスタンダードにしていた気がします。

私のセラピープロセスで、私の個性そのものを体現できるようになるうち、夫に、あなた、背が伸びたんじゃない?出会った頃より大きく見える、と言うようになりました。

実際、私は、毎年の健康診断で、微妙に身長が伸びていました。

私は私でいい、という気持ちが自然に芽生えてから、自分でも姿勢が良くなり、堂々としていられるようになった、と感じています。


自分より小さい方と一緒に写真を撮るときなどは猫背になる癖がいまだありますが、だからこそ、そんなとき、あっ、これがスタンダードでは、なくなった!と感じます。


何が言いたいか、というと、私は、原家族から、無意識に、女は小さくしていろ、引っ込んでいろ、男の後ろにいろ、を学んでいました。

が、セラピープロセスで、前に出る、黙っていない、を自然に体現してきていました。

また、富永愛さんが、今はマーケットが中国などアジアになっているから、モデルもアジア系になっている、などの話しは、バンコクに行き、強く感じていました。

アジアの成長、発展のスピード、進化はいくたびに目を見張るものがあり、逆に、その勢いは欧米の人たちを呼び込んでいる、と感じていました。

また、ハイブランドの世界も、結局、本当の、代々続く超富裕層が力を握っているのだ、という話しも、世代間連鎖を考えれば、当たり前の法則であり、だからこそ、超富裕層ではない一般の私たちは、いかに、クリエイティブに、自分の頭を使って、搾取されない生き方をしなければいけないか、という思いも強く感じました。

また、最後に富永愛さんの息子さんを、プロデュースしないのか?と、ひろゆきさんが言ったときに、

それ、やっちゃダメでしょ、逆に私は彼を突き落として、彼が自分で這い上がっていかないと。心の中ではもちろん応援しているけどね。

と言ったときに、私は感動するものがありました。

その愛さんのエネルギー量が肥大化した母性になり、息子さんを覆ってしまうこともできるからこそ、愛さんの父性をしっかり使って、息子さんを外の世界=社会にどんどん引っ張る方向にもっていっているのが、よくわかる発言でした。

彼女は、私がセラピーを学んで手に入れてきた本質的なことが分かっている、と感心して聞いていました。

何かを極め、人前に出続け、世界を見てきた人は、本質的なことを学びとるのかもしれない、と思ったら、益々私も、もっと自分の世界を広げていきたい、と思いました。


トップモデル、ではなくても、私たちが、女性も男性も、ただ自分の個を生き、あらゆる不協和音にも立ち向かえる意志を、みなが持てたら、世界はもっと平和で、本当の意味で調和に満ちたものになる、と感じます。


1人1人が本当の自分を、畏れず、体現できますように。

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